こないだの日曜日に憲法のトークイベントを行った。場所は、小田急線千歳船橋駅の北口から少し歩いた沖縄そば岡てつという沖縄料理屋である。トークテーマは『発酵する憲法』と題した。実は以前にこのお店で『二つの憲法と私たちの未来』というトークイベントをやったことがある。今回は、その続編である。前回のトークイベントの中で新しい憲法草案を作ろうと考えていると話した。そして、次の憲法草案のコンセプトは「微生物や自然の摂理から学ぶ」である。

このように微生物や自然を切り口に憲法を見てみようと思った理由がある。それは今の憲法議論を時代の要請に合わせるためである。僕が憲法議論の様子を眺めてみると、大きな観点が二つある。一つが憲法学のアプローチで、西洋社会で民主制や憲法が成り立った経緯に基づいて憲法を見ている。彼らは、人々の権利や自由を守るために権力を制約するという憲法の側面を重視している。もう一方は、日本の歴史や慣習を強調するスタンスである。彼らは憲法の権力を縛るという近代的な側面だけでなく、日本の歴史や慣習を軸に憲法を見ている。なので、日本の歴史や伝統を具体化したものが憲法であると考えている。

それぞれの憲法のアプローチは、憲法という一つの大きな像に光をあてるものだと思うし、それぞれに意義がある。たとえば、憲法による自由や権利の保障がなければ、私たちは生きるために必要な経済活動をすることができないし、新しいビジネスチャンスがあったとしても規制に阻まれて、機会を損失してしまう。また、憲法とは紙に書いた文字ではあるが、憲法はその内容を守る人がいて、初めて成立する。だから、法と人とは、セットで考えないと意味を持たない。そして法律を遵守するのは、日本という地域に生きている人々であるから、日本の歴史や文化や慣習の影響を必ず受ける。

憲法の議論は長らく、この二大巨頭がリードしてきた。けれども、あまり議論の内容が深まることがなく、以前と同じような平行線の議論が進んでいるように思える。そして、時代は毎日毎日変わっている。そう言えば、どこかの思想家が「どんな時代は過渡期である」と話していた。過去には過去の、現在には現在の、未来には未来の問題や可能性があるのだろう。

では、現代社会の問題点はどこにあるのだろうか。一つ例をあげるとすれば、今までの消費社会を継続させていては、地球が3個あっても足りないという事実である。このままの文明生活を送っていて、本当に未来の子孫も充実した生活を送ることができるのか。持続可能性を問うのは、時代の要請である。どうすれば有限の地球資源を活用して、循環型の社会をつくれるのか。どうすれば他の地域の資源を搾取せずに、エネルギーや食糧などの自給率を上げていけるのか。それらを実現していくために、僕たちの社会制度の何をどのように変えていくのか。未来の子供達に何を伝え、何を残していくべきなのか。

こうした時代の要求を前向きに検討するためにも、憲法議論の枠組みに広げていきたいと思っている。よく憲法と言えば、9条や自衛隊、緊急事態条項、家族条項などが取り上げられる。僕は、そこに疑問がある。なぜ憲法の議論のなかで、先に取り上げた持続可能性や地球環境の話をしないのだろうか。憲法を大きな視点からみれば、憲法はその国に生きる全ての人が幸せになるために作られたルールである。「憲法とは、こういうものだ」という小さな前提が憲法の可能性を狭めているのではないか。もっと自由に、柔軟にいろんなことが語られてもよいと思った。そうした憲法の可能性を広げるために、微生物や自然環境から憲法を考えてみたかった。

『発酵する憲法』とは、憲法議論の枠を広げるチャレンジの一つである。もちろん従来の憲法の話からしてみらば、色物扱いされるだろう。けれども、今までのあり方では如何ともしがたい現状があるので、アホになってみるしかない。人からバカにされたり、怒られたりするくらいのほうが楽しそうである。僕は憲法や法の専門家ではないので、素人ぶりを発揮して自由にやっていこうと思っている。

このトークイベント『発酵する憲法』は、僕が今までの憲法の意味付けの文脈の中で「発酵」を、どのように位置付けようとしているかを話した。また、僕は味噌作りや発酵食品を作ったことのない初心者である。けれども、現状で自分が知りうる観点で、発酵について面白いと思ったポイントと憲法に活かせそうな視点を参加者に共有した。

僕が発酵で面白いと思ったポイントは、「発酵する憲法」に書いた「調和」「相互扶助」の世界観だけではなく、発想の転換である。小倉ヒラクさんの『発酵文化人類学』によれば、発酵とは「人間に有用な微生物が働いている過程」であり、腐敗とは「人間に有害な微生物が働いている過程」である。「発酵」も「腐敗」も同じ微生物の活動過程であり、それらを分けるのは人間の判断次第であるということだ。例えば、僕たちがよく飲んでいるビールは、微生物の生命活動の中で生み出された廃棄物である。僕たちはこの微生物の廃棄物を好み、お金を払って飲んで酔っ払う。微生物の生命活動の副産物を、ゴミと見るか、お宝と見るかは僕たちにかかっている。

日本酒ができる過程には、二つの菌が活動している。麹菌と酵母菌である。麹菌は、米のデンプンを糖に分解し、酵母菌は麹菌によって生み出された糖をアルコールに分解する。この二つの菌が相互に作用しながら出来上がるのが、日本酒である。発酵とは、実に巧みなプロセスである。こうした発酵のプロセスを観察して気づいたのは、「ある生命体がありのままの自由に活動によって生まれたアウトプットや副産物は、別の生命体にとっては有益になる」というルールである。それぞれの微生物たちは、自分たちの活動に専念している。なぜなら自分たちが何をしたいのかを本能的に知っているからである。面白いのがその微生物の活動が別の微生物には、好都合になる。そして、この複雑な連鎖を全体で見たら、とても理にかなったエネルギー循環になっているということだ。

このような発酵の過程を社会に当てはめるとすれば、次の通りであろう。微生物は自らの特性を知っている。これは本能的なものなので知る以前の問題かもしれないが、彼らは自分が活躍できるタイミングや場所を分かっている。日本酒の酵母菌のように、目の前に糖が存在すれば、生命活動は活発化させて、糖を分解してアルコール成分を生み出す。同じように、人も自らの特性を知っていれば、それを発揮することができる。傾聴が得意な人であれば、人にとって良い聞き手になるし、それが乗じてカウンセラーという職業へ繋がっていく。特性を活かす機会が存在し、それを活かすことができれば、それは同時に誰かの役に立つことになる。一人一人が異なった特性を持っていれば、その特性の波は世界をグルリと巡ることができる。

さらにこれを発展させて、社会のルールまで想像を広げると、次の二つのアイディアが浮かび上がってくる。一つ目は、個人は自らの特性を追求する機会が保障されること。人は、生まれながら持った個性や生まれ育った地域や家庭環境や文化など複雑なプロセスによって育まれる。けれども、その人がどんな才能や個性を持っているかは、その人自身が時間をかけて見つけて育むものである。もちろん他人が自分の特性を見出してくれるかもしれないが、最終的にそれを納得するかは自分次第である。このような機会は、社会的に保障されるべきである。もう一つが、個人の特性を個人の特性を発揮する機会が保障されること。その個人への評価は、その人が所属する集団や社会によって大きく変化する。また、せっかく自らの特性を知り得たとして、それを発揮する場所やタイミングがなければもったいない。その人がありのままに活動をして、それが社会的に有用となるような環境や機会が保障されるべきである。

このアイディアはまだ荒削りな部分が多いが、発酵の仕組みから社会制度を考えてみると面白いことに新しいアイディアが生まれてくる。また、発酵の分野では未だに解明されていない謎があるようで、それは「複数の菌が連携して行う発酵作用が分析しづらい」ことだそうだ。実験室など限定された状況では、単体の機能や効果を分析することができるが、複合的な要素が存在する実世界での微生物の働きは、よく分かっていない。ここで思い出したのが、小学校の頃にテレビで30人31脚のレースを見た記憶である。ここで印象的だったのが、個人では50mが9秒台の子供もチームで走るとそれよりも早く走れることであった。このように個人の働きは、全体の中に位置付けられると変化してくる。人間社会は、一人では生きていけないチーム競技なので、こうした全体のメカニズムで個人がどういう影響を及ぼすかを見ていくと面白い発見がありそうだ。ある社会問題を発見したとしても、その原因を個人に特定するのではなく、全体を少しずつ改変することで、誰も責めることなく、解決する糸口が見つかるかもしれない。個別最適ではなく、全体最適を求めるスタンスである。

僕は、憲法を外的で冷ややかなルールの話にしたくない。できれば、自分たちの心の中にある問題として取り扱いたい。なぜならルールを守るのは、最終的には人であるから。自分が思いを込められないルールには、本質的に意味がない。僕は、ルールとは外部から与えられるものではなく、自分たちのあり方や人との向き合い方など、感情的で内面的で暖かいところを基礎に形作られると考えている。肝心なのは、僕たちの心であり、心が答えを知っている。あとは、その心の使い方を工夫すれば良いのだと思う。

トークイベントの後には、たくさんの参加者が感想をシェアしてくれた。人によっては、自分自身の内面について掘り下げて話してくれたり、自分の辛かったことや反省したことなどを話してくれた。誰かが本音で話せば、みんなが本音で話せる雰囲気が自然とできる。何とも一体感のあるリラックスしたムードだった。後日、ありがたいことに改めて感想を送ってきてくれる人が何人かいた。与えてくれた言葉をしっかりと味わいながら、自分の身体に染み込ませる。また彼らの言葉は、自分の世界と融合して、どこかのタイミングで、輪郭を作って自然と現れてきてくれるだろう。

憲法トーク「発酵する憲法」の様子

発酵と腐敗は、紙一重である。どちらも微生物が活動している。僕たちの見方一つで、悪いものを良いものに変えることができる。たとえ腐っているように見えても、環境を変えてあげさえすれば、輝きだすかもしれない。いずれによせ生命体は、日々活動をしている。彼らには生まれながらに生きる力が与えられている。

つづく。