2017年7月14日に高知県の四万十川を越えた南西部にある宿毛(すくも)という場所で「憲法を身近に感じるワークショップ『僕らが考えるこれからの日本』」というテーマで憲法のワークショップを実施した。

この憲法ワークショップは、龍馬プロジェクトという団体の四国研修に組み込まれたものである。この龍馬プロジェクトとは、超党派の政治家のネットワークで、地方議員や国会議員、また政治家志望者など日本全国で200名ほど所属している。そして、龍馬プロジェクトの会員向けに研修や勉強会などを定期的に開催している。

僕と龍馬プロジェクトの出会いを作ってくれたのが、僕が毎月寄稿している月刊誌『フォーNET』の松本安朗編集長である。松本編集長が龍馬プロジェクト会長の神谷宗幣さんを大阪でインタビューした時に、僕のことを紹介してくれた。そして今年3月に神谷さんと渋谷で初めて会い、その場で「右とか左とか思想やイデオロギーを取っ払って、日本の未来を考えたい」と意気投合する。僕が憲法草案を作成したこともあり、神谷さんと憲法の取り組みを「憲法未来研究会」としてスタートすることになった。

その流れで僕が龍馬プロジェクト四国研修の中で、憲法ワークショップをやることになった。東京以外で憲法をテーマに話すのは、4月の福岡、5月の静岡を合わせて今年で3回目である。現地で四国研修の計画をしていたのが、井下泰憲さんという方で、研修前に何度か打ち合わせをした。その打ち合わせの中で「せっかく高知に来るので、他ではやったことのない新しいことを試してみたい」という話になり、自分が憲法ワークショップなるものを企画することになった。

今までは資料を作って僕が話して、その後質疑応答という講義形式がほとんどであったら、ワークショップ形式は初めて試みであった。そして、今回のワークショップのサブテーマが「憲法を身近に感じる」ことだったので、僕は次のようなアプローチをとってみることにした。難しい概念から憲法を説明するのではなく、自分たちの思いや内面をきっかけに憲法を考えてみるという方法である。

憲法の勉強会や講演会に参加したことがある人は分かるかもしれないが、多くの憲法の勉強会は、ちょっと難しい概念的なお話から入る。例えば「立憲主義」という考えが憲法にはある。立憲主義とは絶大な権力を持つ国家に法的な縛りをかけて好き勝手にさせないことで、僕たちの自由や権利を守ろうという考えである。これは中世のイギリスで誕生した考え方だ。場合によっては国家を猛獣に、憲法を檻にそれぞれ例えて説明をする。猛獣が暴れ出さないように檻にいれておくのが立憲主義であるというように話がなされる。

もちろんこのアプローチは一つのやり方として正しいのだろうけれども、最終的にその説明に対して自分が納得するかは、本人次第である。だから、憲法と自分の間に隙間ができやすいと思っていた。また、その説明方法には、答えがありきな感じが否めなくて、それぞれが持っている個性や創造性が発揮されにくく、どこか後ろめたさを感じていた。当然、憲法についての説明であるから、「憲法とは、こういうものである」という言い方は仕方がない。しかし、この言い方が強くなってしまうと、憲法議論の可能性や面白さを狭めてしまうと思う。

人がゾクゾクするのは、正しいか間違いかどうか分からないグレーゾーンである。マージナルな領域をつついてみるほうが楽しいし、最終的にはその方が憲法に対する自主性が育まれるんじゃないかと考えた。今の憲法の議論で必要なのは「議論に参加する人数を増やすために間口を広げる」と「自分たち目線で憲法を考える」の2点だと思う。憲法は決して憲法学者や弁護士など法律の専門家だけのものではなく、僕たちの生活の根幹を関わるものである。だから、憲法を国民に広く開かれたものにするためには、親しみと分かりやすさが大切である。

僕が行ったワークショップでは次のような流れで進めてみた。

①参加者に未来の日本の方針とその理由を自由に書いてもらう
②参加者に書いた内容を発表してもらう
③日本や世界の憲法で、発表した項目に関連する条文を紹介する
④日本の憲法に当てはめて、その差分を考える

参加者には特に既存の考えに引っ張られずにありのままに思うこと書いてほしかったので、今回のワークショップでは、冒頭で憲法についての説明はしなかった。次の5分間で未来の日本の方針と理由を書いてもらった。5分が過ぎて、それぞれに発表してもらう前に、僕が憲法について面白いと思ったことを簡単に話した。

憲法とは、小難しい話のように思われているかもしれないが、自分たちの生活には身近である。世界の憲法を見てみるとそれがよく分かる。例えば、遊牧民のイメージが強いモンゴルの憲法5条には、こんな条文がある。

第5条5項 家畜は、国の富であり、国の保護下におかれる。

古くからモンゴルの人々を支えてきたのは、畜産業であり、家畜は彼らにとって切り離すことの
できない民族的なアイデンティティである。その国には、その国の歴史や風土にあった国の治め方が存在している。視点を変えれば、憲法とは自分たちの国の自己紹介とも言える。フランス革命を成し遂げ、共和制を打ち立てたフランスの憲法には、このように高らかに宣言されている。

第2条4項 共和国の標語は、《自由、平等、友愛》である。

このように他国の例を紹介した後に、参加者に書いたことを発表してもらった。すると次のような項目が上がった。

人によって抽象度や切り口が違うのが様々な人々が集うワークショップの醍醐味である。同じ質問を投げかけれても、それにどのように反応するかは、その人の感性によって決まってくる。

例えば、「二次元から三次元にしよう」という意見があった。抽象的だったので、その意味を探ると、今の日本社会は、二次元の横の繋がりばかりを重視しているように思える。けれども社会は、連続的な時間の中にあるので、過去から継承されてきた歴史や未来の子孫を大切にしなければならない。そういう意味で時間を加えた三次元で社会を考える必要がある。こんな風な意見であった。

この話を聞いて僕はなるほどと思った。確かに今の社会は長期的な視点で考えるよりも、「今だけ、金だけ、自分だけ」という傾向が強いかもしれない。歴史性や時間を加味した憲法で言えば、韓国とスウェーデンの憲法がある。まずは韓国の憲法。

第9条 国は、伝統文化の継承、発展及び民族文化の暢達に努力しなければならない。

その次は、スウェーデンの憲法。

第2条3項 公的機関は、現在及び将来の世代のために、良好な環境をもたらす持続可能な発展を促進しなければならない。

憲法とは、その国の国民の意思表示である。だから、このような目標や考えに基づいて国を作っているということだ。

また会場からは次のような意見も出た。国民の生活の基盤となるのが経済である。だから経済を立て直すことが今の日本に最も必要なことである。その方に対して、僕は「具体的にはどのようにすれば良いですか?」と尋ねると「教育や職場環境を整備するなど、未来への投資をしたほうが良い。そのように環境を整えれば、生産性が上がり、経済が活性化する。」と答えてくれた。

この意見に対して、ワークショップの中では良い事例が紹介できなかったので、この場を借りて紹介すると、未来への投資ということで政府のお金の使い方について定めた条文がある。オーストリアの憲法を参考にしてみよう。

第13条
(1)公課制度の領域における連邦及び州の権限については、別個の連邦憲法法律(「財政憲法法律」)により定められる。
(2)連邦、州及び自治体は、財政運営において、経済全体の均衡の確保及び持続可能な予算を目標としなければならない。連邦、州及び自治体は、これらの目的のために協調しなければならない。
(3)連邦、州及び自治体は、財政運営において、現実の男女平等を目標としなければならない。

『財政に関するオーストリア連邦憲法法律の改正』によれば、オーストリアは、1990年代には効果的に財政を執行するための制度がないなどの問題を抱えていた。第13条はもともと第1項しか存在していなかったが、財政問題を解消するために、第2項の「持続可能性を考慮して策定した予算」と第3項の「財政運営における男女同権」が2009年に条文が追加されたようだ。また、オーストリアは、2013年にも財政に関わる憲法の改定を行なっている。

憲法に「持続可能性を考えた予算」と「男女平等」という国家目標が掲げられた条文は世界でも珍しくオーストリア憲法の特徴のようだ。財政は国家の意思と呼ばれるくらい国家運営の根幹なので、憲法にこのような目標を書き込むのは、オーストリア国民の意思の表れであろう。オーストリアの細かい財政改革は、調べきれていないが、おそらく憲法を議論していくなかで、どのように政府の予算が使われるべきかという議論は大いにあっただろう。これこそ政府や自治体が未来の投資として、どこにどれだけのお金を使うべきかという議論であったはずだ。

他にも、日本の指針として「教育」を取り上げた人が2人いた。一人は家庭教育について、もう一人は企業教育についてで切り口は違っていた。けれども、共通していたところは、知識や学歴といった外見的で表面的なものを求める教育ではなく、その人に社会の中での自分の役割を知ってもらったり、自尊心を育むような内面性を重視した教育が必要であるという考えであった。

憲法議論の中では、教育費の無償化の話がでてくるが、本当に必要なのは、どんなことを教えるべきかであり、何でもタダにすれば良いという乱暴な話ではないように思える。きっと教育についての意見を発言してくれた2人も教育の内容についての問題意識があったのだと思う。

ワークショップでは、それぞれに日本の未来の指針を書いてもらったけれど、各々にはそこに深い問題意識が存在している。現状は上手くいっていないからこそ、今後の方向性として書いてくれたはずである。であるならば、それをどうやって実現できるかを考えていくのが必要であり、僕が憲法議論に求めているのは、理想と現実のギャップをどうやって埋めていけるかという建設的な作業である。重箱の隅を突くような難しい条文解釈よりも、現実問題の解決に向けて一歩一歩議論を積み重ねて進んでいくほうが、未来の社会のためになると考えている。

初めてのワークショップ形式での取り組みであったが、次に繋がる良い経験を得ることができた。参加者のリアクションも概ね好評であった。「このワークショップなら小学校や中学校でも試せる」という感想ももらった。自分の頭で憲法を捉えて、考えていくことが、憲法議論の主体性を取り戻すために大切になると思う。このような取り組みのなかで、自分なりの憲法観や世界観を深めてもらうのが良い。一人一人が自分の意志を持つことが、社会や国を豊かにすることに繋がるはずだ。

「僕が憲法議論で目指しているのは、観念的なものではなく、現実的なものである。」そういうことを改めて僕に教えてくれたワークショップであった。

つづく。