これは、憲法草案に天皇をどのように記述しようか悩んでいたときの話である。憲法草案を書くなかで最も悩みが多かった部分が、天皇と安全保障に関わる条文である。権利(道理)や統治機構に関連した条文は僕が思うところを形にできた。けれども、天皇と9条に触れる箇所は、憲法でも大きな議題になり、その個人の歴史認識が大きく問われることもあり、どのように表現するかは多いに頭を使った。福沢諭吉の尊王論、三島由紀夫の文化防衛論、昭和時代の国体論などを読んでは、自分の中での天皇像を探る作業をしていた。

率直な感想を言えば、どの天皇論も説明しようとしていることは十分に頭で理解できるものの、身体的な現実感が持てないことであった。これは僕が戦後の平成生まれであり、僕が読んだ著作の作者よりも時代を大きく隔てた世代であることが影響していると思う。また、説明と表現は違う。説明であれば、いろんな手段を投じて様々な根拠を並べることが許されるが、憲法の条文のような限られた表現形式の中では、それができない。論理的にも、感情的にも納得するためには、両方の立場から考えないといけない。論理と感情という別次元の世界が和するところを求めなければならない。

ところで2017年2月に発表した憲法草案の第1版では「天皇は、日本国の柱である。」と書いた。大黒柱という言葉もあるように、「柱」は何かの中心であったり、大切な支えのような意味を持つ。「柱」という言葉は古事記から選んだものである。昔の日本では、神様を1柱、2柱というように柱を単位として数えていた。ここに日本の精神文化が感じ取れる思いがあった。身近な自然に感謝したり、畏敬の念を抱く僕たちの先祖たちは、神様は身の回りに溢れているという感性を持っていた。それを宗教的に見れば多神教になり、絶対的な一者の神様ではなく、複数の神様が存在している。だからこそ、神様は1柱、2柱と数えることができるのである。そもそも一神教的な世界では、神様は数えようがない絶対的な存在である。

また、身の回りの溢れた自然であれば、どうして花や石や山や川が神様を数える単位にならなかったのだろうかと疑問が湧く。もし花を物事を数える単位とするような文化があったら、その文化は自然愛好家によって作られた、さぞ奥ゆかしい文化だろうと思う。日本は木の文化、西洋は石の文化と言われるように、日本という風土では、木は生活に密接な自然素材であった。現在の日本の大地は鉄筋コンクリートで造られた建築物で覆われているが、古くから日本では建物は木で造られていた。生きる上で欠かせないお米を備蓄し、ねずみなどの天敵から守ってくれる高床式倉庫も木製である。このように生活への関わり合いが強ければ強いほど、その自然物に特別な感情を抱くようになるのは、容易に想像ができる。日本に仏教が入ってきたときには、木で仏像を彫り込み、民衆に仏の教えを伝えたが、ここにも木に対する精神文化があったように思える。

天皇を柱と記してみたところで、僕はあることに気づいた。それは、ある問いを正面から向き合うことを自ら放棄していたことである。その問いとは「天皇は元首であるか」である。現在の憲法学の議論を見ていくと、様々な元首に関する議論があるようだ。例えば、憲法に元首の規定がないため元首が不在とする説、象徴天皇を元首とする説、実質的な権限を見て内閣総理大臣を元首とする説、または国民の代表機関である国会の衆議院議長を元首とする説などがある。しかし、物事は表面ではなく根っこから考えないといけない。僕の関心は、憲法学的に日本の元首は誰なのかという問題に向かなかった。そもそも「元首」という言葉に興味を惹かれた。元首とは英語で「Head of state」である。人間の身体を国家に例えたときに、なぜ国家を代表する部位が「首」なのか。

このような問題意識を胸にうちに秘めていたときに、ある人物との出会いがあった。そこでの会話によって先に抱いていた問題が良く見渡せるようになった。その方は、綺麗に着物を着こなす方で、僕が憲法について話すイベントに知人の誘いでやってきてくれた。そのイベントは、発酵の切り口から憲法について考えるというテーマで、発酵という現象を人間に当てはめてたり、社会のルールに当てはめたら、どんな世界が広がっていくのかという話をした。その着物の方は、どうやら僕の話した内容に興味を持ってくれたようで、改めてお会いすることになった。

着物の方と再会したときに、その方は日本の美術史の造詣が深く、あれこれと話を聞いていた。そこで会話の内容が衣装に移った時にこんなことを話していた。「民族と衣装はとても関係が深いです。衣装では、身体の大切なところ結びます。日本には帯があるように、腰や腹に巻物をしますが、西洋ではネクタイのように首に巻物をします。」この話を聞いた時になるほどなとストンと腑に落ちた。身体のどこを結ぶかは、文化的な意識の表れである。着物の方に、教えてもらった本を読んでみると、日本では、腰や腹あたりを身体的な中心を考える習慣があるようだ。「腰が低い」「腰が重い」「腹が黒い」「太っ腹」など腰や腹に関する慣用語が大さにも改めて気づく。

西洋文化が理性に基づいて科学を発展させたように、ネクタイという衣装を文化的に発展させたのは、身体の中心を頭や首に置いているからだろう。読んだ本の中には、西洋文化が頭や首を中心としたのは、彼らの自然は人間が管理し、コントロールできるという自然観が影響していると書いてあった。日本の風土を考えた時に、恐ろしい地震や台風があるため、そもそも人間が自然を管理できるという考えに至ることは少ない。大地から離れた頭や首ではなく、大地に近い腰や腹を意識するのは、風土によって形成された一種の生活文化である。西洋では椅子やベットを、日本では畳や布団を生活に取り入れたが、この日本の生活様式が持つ大地の近さも、自然風土と関係があるように思う。

僕は何も西洋文化が入ってくるまでの時代に戻せと言いたい訳ではなく、自分たちの社会の軸を探している。社会の軸がしっかりと定めることができれば、社会を安定し、人々の心も安らかになると考えている。日本では、身体の軸を腹や腰にあると考えてきた。これは東洋社会にも共通する身体感覚であると思う。東洋医学では、臍下の「丹田」と呼ばれる場所に人間の根源的なエネルギーが宿り、ここに意識を集中させることが、人間の活力を最大限にできると考えていたようだ。

このような話を踏まえて、天皇は本当に国の「首」なのだろうか。天皇を階級的なピラミッド構造の頂上に置くようなことは、本当に良いのだろうか。人間が自然を管理支配するかのごとく、天皇が民衆を管理支配するのだろうか。西洋の王と日本の王は、歴史的にも違ったものが求められてきた。それは城を見てみればよく理解できる。西洋の城は高い城壁と深い掘りに囲まれているが、京都御所にはそんな城壁や掘りは存在しない。古今和歌集には天智天皇の歌が記されている。「朝倉や木の丸殿に我居れば名のりをしつつ行くは誰が子ぞ」。粗末な御殿からは、民衆が姿を覗かせていたことが伺える。この歌からは、素朴で庶民的な天皇像が見えてくる。

天皇は、国の肚ではないだろうか。天皇は、国の軸として据わっていることが肝心である。時代によっては、政治の表舞台に立つこともあったが、日本という国が歩んできた歴史の基底に存在し続けているのが、天皇というものであろう。国の中心を「首」とするか「肚」とするかまた別の部位かは、その国の文化のあり方を表すため、それぞれの文化の違いが楽しめて良いのではないだろうか。僕は、天皇がきちんと国の中心にいてもらうことが、ゆくゆくは社会全体の寛容さや民衆の自由を高めることに繋がると考えている。

もしかすると「天皇は元首なのか」という設問自体に誤りがあるのではないだろうか。これは出口のない問題設定ではないか。そろそろ他人の言葉を借りて物事を考えるのは辞めて、自らの言葉で物事を考え、自らの生きる社会のあり方を主体的に語る時期に来ているように感じる。

つづく

Photo by kawaguchi hiroki