そもそも人間は感情を持った生き物である。だから僕たちが抱いている感情は、まぎれもない事実であり、否定しようとしても否定することができない。いくら論理的に説得されても腑に落ちないことがあるのは、みなさんの多くが知るところである。僕は、感情そのものを否定するつもりはないし、否定することは不可能である。けれども「韓国」や「朝鮮」と一括りにして、彼らの全てを憎悪と蔑視の対象にしてしまう前に読んでほしい。これから書くことは、僕が2017年9月14日から22日まで韓国に滞在していた時の話である。

韓国に行く前は、日本と韓国の関係について深く考えたことはなく、知っていること言えばごく一般的な内容であった。例えば、竹島の領土問題、従軍慰安婦、教科書をめぐる歴史認識問題、そして国内においては在日朝鮮人のマイノリティー問題など、これらの問題が存在していることを知っている程度で詳細に迫ったことがなかったため、あまり問題意識が湧かなかった。また、メディアやインターネットでいろんな情報や説が広がっているけれども、どれも断片的なものであり、自分の判断する根拠には乏しいように思えた。

日本には「百聞は一見に如かず」という古き教えがある。何も知らないで自分の偏った知識や経験だけで考えるのは良くないと思い、ここはバカ正直にことわざに従って、現地へ行ってみようと決めた。僕が韓国に滞在していたときの9月15日には、北朝鮮が発したミサイルが北海道上空を通過したという報道があり、このタイミングで朝鮮半島にいることの数奇さを感じた。

韓国に到着してから最初に向かったのが、「国立ソウル顕忠院」と呼ばれる韓国の国立墓地である。ここは主に朝鮮戦争で亡くなった軍人の祀られている。朝鮮戦争だけではなく、ベトナム戦争や独立運動で命を落とした軍人や市民も眠っている。さらに、初代大統領の李承晩や朴正煕ら4名の大統領の墓地もある。墓地とは言うものの、一般開放された長閑な自然溢れる公園であり、休日には散歩やハイキングに来る市民も多いそうだ。

最初は独りで静かに回るつもりだったけれども、たまたま韓国人のガイドさんに声をかけられる。僕は韓国語が分からずにお互いにシドロモドロしていると、英語が話せるガイドさんを呼んできてくれた。しばらくすると英語のガイドさんが駆けつけて「どこから来たの?」と聞くと、僕は緊張気味に「日本から来ました。」と答える。微妙な空気になるかと思いきや、「過去は過去。あなたのような次の世代がお互いの良い関係を作っていくのよ。私たちはウェルカム!」と即答する。その一言で、僕の緊張は和らいだ。その後は、丁寧に墓地を案内してくれた。

「ここは愛国者(Patriot)が眠る場所なの。母国のために戦った人々を知ることで、私たちは心を震わせるの。」とガイドさんは話す。その後もガイドさんから「愛国者(Patriot)」という言葉を何度も聞いた。韓国ではこの言葉は何やら特別な意味を持つようである。また、朴正煕大統領のお墓に向かっているとき、「ここには大統領とその夫人のお墓がある。もちろんそれぞれの大統領には、国内でいろんな意見や批判はある。でも国のために亡くなったのだから、まずは彼らを尊敬するべきだわ。」ガイドさんの話を聞くたびに、この空間には良心というか、グッドマインドが流れているように感じた。高校生たちがボランティアとして楽しげに墓地を掃除する姿も見かけた。

その後は「肉弾十勇士顕忠碑」を見た。これは、朝鮮戦争で爆弾を抱えて相手の基地に飛び込み亡くなった10名を特別に顕彰している。この場所はメインゲートからも近く、韓国にとって彼らの位置付けの大きさが伺える。彼らは、日本でいうと特攻隊にあたるのだろうか。

今挙げた以外にも、ガイドさんは一つ一つを丁寧に教えてくれた。別れ際には「この国立墓地に来て、韓国の歴史を学んでくれて嬉しいわ。あなたのような人が一人いることを知って勇気をもらったわ。良い未来のためにお互いに学びを続けましょう。今度は友達も連れて来てね!」と言って、最後の最後までガイドさんの懐の深さと優しさに圧倒されっぱなしであった。

韓国の旅では、知人の紹介で日本の植民地時代を知るおばあさんにお会いできた。その方は今年で83歳になり、現在でも流暢な日本語を話す。韓国が日本の統治下にあったとき、日本に5年間滞在した。日本の学校でも学んでいる。朝鮮戦争を経験し、アメリカやイギリスへ留学した後、独立まもない韓国の代表として国連職員として働いた。いわば時代の証言者である。今でも精神はご健在で、昔のことを教えてくれた。

「日本の植民地時代のほうが今よりも良かった。」おばあさんは植民地時代の日本に肯定的であった。続けて、こう話していた。日本の植民地時代は、社会の秩序がしっかりと守られていて、道徳教育を受けていたので、みんな礼儀正しくて社会が安定していた。日本の敗戦後は、アメリカ式の教育が蔓延して、わがままが多い個人主義の社会になってしまった。アメリカ式の教育は韓国に馴染まないとまで語っていた。韓国、日本、アメリカ、イギリスの4カ国で教育を受けた教養ある人の言葉だけに説得力を感じた。

おばあさんの話しは続き、朝鮮人の中には大東亜戦争に喜んで参戦する人もいたという。なぜなら戦争で勝てば朝鮮は独立できると考えていて、彼らは最後まで立派に戦ったと。このおばあさんの話しを聞けば聞くほど、メディアで語られる歴史認識と現場で聞く歴史認識の複雑さに気づかされる。靖国神社には、殉職された朝鮮人の約2万1000人が合祀されている。ちなみに僕がおばあさんの話しを聞いていたお店の店主には、91歳の母親がいて、その母親がソウルに住んでいた若い頃に朝鮮神宮へ良く参拝しに行っていたそうだ。その話しを聞いて育ったので、その店主は日本人である僕の来店を快く歓迎してくれた。

そのおばあさんは「今の朝鮮半島は、共産主義とアメリカ主義によって分断されている。」と話す。韓国には北朝鮮にルーツを持つ人々も多く、南北分断によって家族が離れ離れになっている離散家族というものも存在する。朝鮮半島のこの認識は、朝鮮半島が統一されていた時代を知っている昔の世代と南北が別れた時代しか知らない新しい世代でズレがある。若い世代は、同じ朝鮮語でも全く言葉が通じなくなった北朝鮮を全く別の国だと考えていたり、朝鮮半島の統一による経済的な負担を自分たちの世代が負いたくないと考えたりと、統一には否定的な人が多いそうだ。おばあさんの口から「韓国の独立」という言葉が何回も出てくる。しばらく話しを聞いていると、「韓国の独立」とは「朝鮮半島の統一」を意味することが分かった。

別の日には、安重根記念館に足を運んだ。安重根とは、日本の初代内閣総理大臣をハルビンで暗殺した人物である。僕がこの記念館の方とお会いしたときに、こんなことを冷静に話していた。「韓国では、安重根は国家の英雄で、伊藤博文は侵略者です。一方の日本では、伊藤博文は偉大なリーダーで、安重根はテロリストでしょう。けれども、この認識の違いは当然のことです。時間はかかるけれども、自らの歴史認識を持ち寄ってお互いに理解を深めていくべきです。最も危険なものは、差別主義であり、排外的な愛国主義です。それは韓国でも、日本でも同じことです。」

少なくとも僕が旅をしている間は、日本人という理由で差別的な扱いを受けることは一度もなかった。むしろ不慣れな韓国の旅を助けてくれたし、心優しい人ばかりであった。たまたま僕が出会った人が良い人であっただけかもしれないが、韓国には未来志向で日本と友好を築こうとしている人々が今現在もいることは、この旅を通して確かめることができた。

歴史を紐解けば、日本は古くから朝鮮半島を経由して儒教や仏教など学問や最先端の技術を取り入れて、日本社会を豊かにしてきた。また、近年では日本の皇室から韓国王族に嫁がれ、韓国の障害児教育に尽力した方子妃殿下や、日韓併合時代から戦後30年にかけて約3000人の韓国の孤児たちの母親となった田内千鶴子さんがいた。数え切れないほどの日本人や韓国人が、お互いの友好のために身を尽くした人々がいた。日本と韓国のアイデンティティの間に苦しみながらも、両国の友好に努めた人がいた。僕たちが受け継ぐべき歴史は、どのような歴史なのだろうか。一時的な感情による差別や蔑視で、両国の溝を深めることは、先人たちの功績に泥を塗ることにはならないだろうか。

どうか感情的な対立を煽る人々の意見に振り回されないでほしい。数字欲しさに発せられた極端なメッセージに耳を傾けないでほしい。歴史認識を一つとっても「反日」「親日」で綺麗に分けられるものではなく、今まで書いてきたように、多様で複雑である。この多様性や複雑性が一切無視され画一化されてしまうとき、僕たちは何か大きな構図の奴隷になっていないだろうか。分断と対立が象徴とされる現代社会において、良心と良識が一つの光になることを切に願っている。

今回の旅では、名越二荒之助氏『日韓共鳴二千年史』を旅のお供にした。日本と韓国の歴史を学ぶには良書である。日本の植民地時代を知るおばあさんは「この本は韓国と日本の歴史が良く書かれている。この本は家宝にしなさい。」とおっしゃっていた。

つづく