このiPhoneのスクリーンショットは、韓国の旅の二日目のときのものである。

朝起きてその日のスケジュールを確認していたときに、スマホに通知が来た。「北朝鮮がミサイル発射 日本領土上空を追加した模様」

通知の内容を見たときに、身体が一瞬固まってしまった。もう一度文字を見直して、ようやく意味が分かった。

「追加」とは「通過」の誤字であろう。文字をミスタイプしてしまった担当者の焦りや現場の慌しさを感じる。

僕が滞在しているソウルは、北朝鮮から50kmくらいしか離れていない。そして今さっき僕がいる朝鮮半島から、母国に向けてミサイルが発射された。

スマホで中継を見る。ミサイルは日本上空を通過し、日本にただちに危険があるわけではないことを知ると、ホッと安心感が湧いてきた。

まさか韓国にいるときに、こんな知らせを聞くことになるとは思いもよらなかった。そして、いろんなことを考えさせられた。

僕は憲法草案を作ったけれども、憲法とは国内の政治に関わることであり、このような対外的な問題に対しては何もできない。憲法は国内法の最上位ではあるが、国際法ではない。

憲法で戦争放棄を掲げていたとしても、戦争とは二国間以上で起こる問題であり、一国で完結するものではない。絶対起こって欲しくない例えであるが、北朝鮮のミサイルが日本の領土に直撃し、日本が宣戦布告と判断すれば「戦争」状態になる。

この時に日本が選択できるのは、日米同盟の枠組みで自衛権を発動して軍事的反撃をするか、国連に訴えて国際的な枠組みで対処するか、またそれらの組み合わせである。そして、降伏という選択肢もないわけではない。

憲法の限界をまじまじと見せられてしまった。

もう一つ考えたことがある。

韓国へ来るとやたらに韓国語で話しかけられる。僕が韓国語が全くできないことが相手に伝わると手を振ってどこかへ行ってしまう。

僕が沖縄に行ったときには、台湾人に台湾語で話しかけられた。彼は片言の日本語で「台湾人かと思いました」と笑顔で話していた。

この二つの経験からすると僕は典型的なアジア人の顔をしているのだろう。

僕は日本という国に生まれて、育った。もし自分が海を隔てた朝鮮半島に生まれていたら、このミサイルにニュースをどんな風に感じていたのだろうか。もし僕が韓国に生まれていたら、どんな人生を送っていたのだろうか。

世界を見渡せば、日本と韓国の距離はささいなものである。もし神様のさじ加減がちょっと違っていたら、韓国、北朝鮮、中国、台湾のどこかに生まれていたかもしれない。

残念なことに第二次世界大戦以降は、東アジアには争いの火種が残っている。朝鮮半島では、韓国と北朝鮮は休戦状態であり、中国の中華人民共和国と台湾の中華民国も内戦途中である。そして日本に目を向ければ、沖縄問題がある。

海の向こうから日本のことを思い、日本から東アジアに思いを馳せる。北朝鮮から発射されたミサイルは、日本を通過しただけではなく、僕の中の何かを動かした。その何かとは、一体何者なのだろうか。

つづく。