憲法草案を発表してから、約1ヶ月が過ぎた。憲法草案を発表してから様々なリアクションがあった。僕は憲法草案を新聞や出版社などの大きな企業へ提出したけれども、彼らからは全く反応がなかった。Facebook上で知り合いになった国会議員にメッセージ経由で憲法草案を渡した。しかし、「拝読しておきます」と社交辞令があった後は何も連絡がない。

大企業や大組織に所属する人々からは、完全に無視された。正確にいえば、無名の一人の個人が作った憲法草案なんて彼らにとっては読むに値しなかったのであろう。僕の憲法草案に反応してくれたのは、周りの友人や知人などの個人である。賛成であっても、反対であっても、何かしらの反応を示してくれること自体ありがたい。

多くの方から感想や質問をもらった。憲法草案を発表した時と現在では、僕の心境は少し変化している。ここでは僕が憲法草案を作成した理由と今後どうしていくかを整理しておきたい。

憲法に興味を持ち始めたとき、そこは喧嘩している状態であった。喧嘩の状況をかなりざっくりと見てしまえば、それは「改憲派」と「護憲派」の二つの陣営が闘い合っていた。「闘い」という言葉がその様子を表すには、ピッタリだと思った。多くの意見は「自分がこういう理由で正しいのであり、相手はこのような理由で間違っている」という前提で進んでいるようであった。まさに正当性を懸けて、自分が生きるか、相手が死ぬかの闘いである。

僕は、議論というものを勝ちか負けかを決定する闘いだとは、考えていない。人間は、全知全能ではないので、どこかで間違いをする。たくさんの本を読んで、たくさんの知識を持っていたとしても、それが正しいとは限らない。だから、一人の人間は、どこかが不足している存在である。

逆に全てが完成された人間がいるというなら、僕はそんな人間を見てみたい。知能も肉体も全てが完璧で、人間関係や家族関係も円満であり、その言動が過去から現在まで一致して、誤りがない。しかし、僕は完成された人間になりたいとは思わない。どんなに準備をしても、知識を得ても、失敗はする。そんな弱点を持っているからこそ、反省し、次回はより良い行いをしたいと願い、再び立ち上がる。僕は不完全な現状に決して満足はしない。失敗があるからこそ、前進がある。

僕にとっては、議論は自らの弱点や欠点を補うための重要な機会である。だから、自分とは違った考えや知識を持つ人がいるのが前提であり、そうした相手がいるからこそ対話が成立する。もし自分と似たような意見しか持たない人々と話し合いの場所を設けたとしても、それは僕が考えているお互いを補い合うための議論ではなく、自分たちの正しさを確認し合う作業になる可能性が高い。

僕が外から憲法の議論を眺めていたときに、憲法に関する知識なんてほとんど持っていなかった。憲法と法律の違いという基本的なことすら知らなかった。憲法草案を作ってみた現在も憲法について、よく理解したという実感があまり持てていない。

憲法とは、国を治めるルールである。人間社会には大小の様々なルールが存在している。友達との間に交わした約束は小さなルールである。年初めに今年1年の目標を掲げたりするが、これは自分に向けてのルールである。ルールはだいたいにおいて綺麗であるし、正しいことが書いてある。しかし、問題はそれを守ることができない人間のあり方である。友達との約束を破ってしまう。自分の目標をクリアできない。自分の怠慢であったり、自らの能力や努力が足りなかったり、やむを得ない事情がある。

だから憲法のこと考えるにあたって、憲法それ自体を切り取って、考えてもあまり有効ではないと思う。憲法がルールであるならば、ルールを守り、実行する僕たち人間自身も合わせて見ていかないといけないと考えている。人間のあり方を知るには、歴史や文学であったりする。また、私たちは、人と人のつながりの中で生きている。その意味では自分たちの実際生活が大きなヒントになるはずだ。

このように憲法を考えれば、考えるほど憲法に関する謎が深まるばかりである。だからこそ、そこに歩むべき道がある。カッコつけて名付ければ「憲法の旅」である。僕は憲法の旅路を歩き始めたばかりだ。

僕が憲法についての小さな学習会を東京で始めた時に、改憲でも護憲でもない第三の立場で憲法を語っていた人は、ほとんどいなかった。もしくは、そのような小さき声は、大きな声によって掻き消されていた。これだけ価値観が多様になったと言われる現代で、憲法に関する立場が「改憲」と「護憲」の二つしかないのには、違和感があった。だから、憲法をフラットに考えようというスタンスで「考憲」と勝手に自分の立場を名付けた。

目の前に二つの選択肢がない中で、どちらにも「NO」と発するのは、なかなか大変だった。人間はやっぱり弱い生き物だなと思った。人数が多かったり、意見が明確であったり、権威的であるものには、精神的に靡いてしまう。自分の旗を揚げるのはそう簡単ではないと思い知った。

確かに僕は憲法草案を作成した。ここから、僕を「改憲派」だと思う人がいるだろうし、また僕を改憲勢力に位置付けたいと思う人たちもいるだろう。しかし、それはまっぴら御免である。それは僕の本意ではない。僕は、どこかの特定の勢力や組織を応援するために、憲法に関する活動をやってきたわけではないし、今後もそのような意図をもって活動をしていく考えは、1ミリもない。

憲法は、私たちがより豊かになるために存在し、世界平和に貢献するためにあると思っている。僕はそのような大きな目的のために活動をやっていきたい。

東京で定期的に開催している考憲会議には、第1回目からずっと参加してくれている人たちが何人もいる。考憲会議は、最初は僕のアイディアで始めたけれども、継続的に協力してくれる人たちがいて、考憲会議が継続している。僕は今では一人のメンバーとして考憲会議を運営に携わっている。

1回目からずっと来てくれている参加者がいた。その人は、今では良き友人である。その友人が「今の日本で、憲法に対してフラットに意見を言える場所は本当に少ない。」と言っていた。改憲と護憲という二項対立が長らく続いている。この対立が長引くほど、両者の意見は固定化してくる。

固定化がさらに進んでしまえば、従来述べられたこと以外は発言してはいけないかのような雰囲気が生まれてくる。見えない圧力である。しかし、それでは過去のリピートにすぎない。改憲であっても、護憲であっても、自分たちの考えを時代に応じて磨き上げていくべきだと思う。そのためには自分たちの前提を問い直して、掘り返してみないといけない。そのような掘り返す作業を非難されるとすれば、それは極めて貧しい言論の土壌しか作られない。良い土壌には新鮮

な空気が必要である。淀んでしまった貧しい土壌に未来の萌芽は出ない。

そんな硬直した憲法議論の状況を生み出したのは、憲法を論じる勢力が政治的な勢力と密に繋がっているからではないかと思いたくなるくらいである。憲法の議論をしているようで、実は政党や党派に関わる議論にすり替わってはいないだろうか。もちろん憲法は政治に強く関わることではあるが、憲法上の発言をすぐさま政治勢力に置き換えてしまうのは、いかがなものかと思う。だから、僕は一人の個人として憲法について発言してみたい。

このように政治色に対して敏感に反応してしまうのは、僕が数年前までは全くの政治無関心層であったことが関係している。政治なんて自分には関係ないものだと思っていたし、政治で社会が変わるとは考えていなかった。2011年の春にシリアに訪問した。その後、シリアは内戦状態になり、多くの人命が殺され、貴重な文化的遺産や自然環境が破壊された。この紛争は政治によって巻き起された。僕は、こうした現実から自分たちの暮らしと政治が関係していることを理解し始めた。

「僕が会社を辞めて憲法草案を作った理由」にも書いたけれど、紆余曲折を経て、憲法草案を作成した。この憲法草案は、議論のたたき台であり、多くの人々と制約なしに話をするために作ったものである。僕の思想によるところも多いが、様々な意見を取り込んだ。ある方からは「この憲法草案は、極端でラディカルではなく、一般的な国民が何となく思っているものを言葉にしたような感じだね。」と話していたが、人によっては、そのように見えるのかもしれない。

僕はこの憲法草案を片手に日本中を巡りたいと思う。憲法の議論の中では定番の9条、人権、立憲主義といったテーマだけではなく、食糧問題やエネルギー政策や社会保障や教育などのテーマも憲法と合わせて論じても良いかもしれない。また、明治時代の自由民権運動や大正デモクラシーといった近代的な民主運動の軌跡も地域に眠っているし、土着の民俗や風土や地域史と憲法を結びつけて論じることもできる。何より、沖縄問題や福島原発事故問題は、その土地抜きには語れない。興味関心がある人がいれば、是非とも声をかけてもらいたい。手弁当で参上したい。

ともあれ、僕の憲法の旅は始まったばかりである。これからどんな風景や人に出会えるかは、誰にも分からない。

つづく。