9月15日。韓国に滞在していた2日目の出来事であった。朝起きてその日のスケジュールを確認していると、スマホに通知が飛んで来た。スマホを見ると「北朝鮮がミサイル発射」とある。一瞬にして身体が固まった。まさか韓国にいるタイミングでこの知らせが来るとは想像していなかった。そして数分前に自分が立っている朝鮮半島から日本へ向けてミサイルが発射されたのである。僕は為す術がなく、自らの無力さを悔やんだ。

韓国から帰国してからも、この体験が頭から消えなかった。僕が憲法について取り組んでいるが、憲法とは最上位の国内法である。そのため、憲法の対象範囲は国内である。つまり、僕が体験した北朝鮮のミサイル問題については憲法上の枠組みで熟慮することはできない。もちろん安全保障政策として敵地追撃能力を持つなどの議論はあるが、これはあくまで表面化した事態への対処策であり、そもそもの問題の根源を探るようなものではない。僕はここに憲法の次に取り組むべきものの存在とその必要性を感じた。

「東洋自治論」とは、これから取り組みの範囲を日本国内からアジアへ広げるための思考の枠組みである。今回は東洋自治論の前提条件となるようなポイントをいくつか列挙し、今後の思索の足がかりにしていきたい。なお、東洋自治論という名称は仮であり、今後変わる可能性はある。

1)日本の平和は日本一国だけでは完結しないこと。少なくとも日本の視点に立てば、北朝鮮の核ミサイル開発や中国の南シナ海拡張など、東洋圏という地域的な範囲で思考しなければならない。ここでいう東洋とは、主に日本、中国、韓国、北朝鮮、極東ロシアの地域を指す。また東アジアの地域に軍事基地を展開するアメリカも存在感のあるプレーヤーとして登場する。

2)東洋圏は戦争・紛争状態であり、戦争の火種が存在していること。朝鮮半島では韓国と北朝鮮が朝鮮戦争の休戦状態であり、中国共産党と中国国民党とは国共内戦が続いている。時代を経るごとにこれらの緊張状態は沈静化へ向かっているようにも見えるが、終戦していないのは事実である。

3)国民国家を所与の前提として考えないこと。東洋の近代史を振り返ってみれば、国民国家とは新しい概念であり、国境線も流動的である。また、国民国家というスキームで物事を強く見てしまうと、中国における大陸の中華人民共和国と台湾の中華民国という中国の帰属を巡る問題、朝鮮半島における朝鮮民族というアイデンティティ問題、日本国内においては沖縄問題、アイヌや琉球や在日朝鮮人などのマイノリティ問題といった事柄が思考の対象から抜け落ちてしまう可能性がある。また、日本といっても古くから中国大陸や朝鮮半島と交流がある福岡、中国と日本との中継貿易で栄えた沖縄、近代以降グローバル都市として発展して来た東京、これらの都市の歴史や性質、住民の認識を日本国家という理由だけで全てを同じものとして取り扱うことは難しい。

4)国家単位ではなく、地域や都市といった人々の生活圏における自治を単位とすること。なぜなら、国家体制や社会制度に問わず、優先されるべきは地域住民の生活である。自治とは「自ら治る」ことであり、社会のあり方を構成員が自己決定し、その社会を持続させることである。それゆえに自治が成り立っている限りにおいて、上層の政治体制は民主主義体制か、共産主義体制か、君主制か、共和制かの形態を問われない。生活圏の「自治」を認める統治スタイルは、江戸時代の幕藩体制や中国の歴代王朝を振り返って見ると、東洋では珍しいものではなく一般的なものである。

5)生活圏の自治に対する脅威は様々な形で現れること。それは政治的な脅威、軍事的な脅威、経済的な脅威、環境的な脅威などが挙げられる。これらの脅威は原因の根源を探り、軽減されるべきである。また生活圏には独自の文化やルールが形成されていることを考えれば、移民による急速な人口構造の激変は好ましい影響を与えないと考えられる。自治に対峙する概念とは、依存である。依存の影には剥奪と隷属が存在する。依存体制を変更するには、自治の回復か、他国からの剥奪という手段がある。平和的な自治の回復を目指すことが、周辺地域への脅威を軽減させる。

6)自治の下支えになる人々のアイデンティティは歴史的に形成されること。「天然独」という台湾の人々の新しいアイデンティティの形成に象徴されるように、生活圏の保持とアイデンティティの形成は密接な関わりがある。天然独と称される人々は、生まれながらにして台湾人という感性を持っている若い世代である。彼らに法理論や歴史を語っても、彼らの台湾人としてのアイデンティティは揺るがないようだ。このように民衆のアイデンティティは、歴史とともに常に創出されるものであり、必ずしも固定的なものではない。

7)交通インフラと情報技術の発達により人・物・情報の移動が加速化すること。言語や慣習などの文化的な差異や中国のグレイトファイアウォールなど物理的な壁が存在するものの、東洋圏において、人・物・情報の移動が加速する。日本国内の航空券と台湾や韓国への航空券の値段はさほど変わりがない。人の移動は、文化の接触にとても大きな影響を及ぼす。また、同時通訳などの技術革新やインターネットサービスの普及によって、他の文化圏の情報や商品が行き来する。このような社会の流れに対して、自らの文化やアイデンティティの純粋性を保持しようとする動きが出てくるが、大局からすれば流動化の現象を止めることは難しいだろう。

8)人・物・情報の流動化はアイデンティティの形成の変容をもたらすこと。流動化とは、人々の生活圏の拡大を意味する。したがって「日本人でもあり、韓国人でもある」という多層的なアイデンティティを持つ人物が増加する。このような人物は従来であれば、国の上層階級や国の辺境地の民などに限られていただろう。しかし、東洋圏の流動化が進めば、限定的であった多重アイデンティティを持つ人が一般層まで拡大していく。この新しい東洋的グローバリストの登場は、東洋の国と地域に多角的な影響を及ぼす可能性がある。

9)東洋の国々の間に歴史認識の問題が大きな楔になっていること。日本の視点から考えれば、対朝鮮(韓国と北朝鮮)、対中国(中国と台湾)に対する歴史認識の問題がある。この歴史認識の問題の考えるには、東アジアが歩んで来て近代の歴史を紐解かねばならない。少なくとも西洋の列強国に対してアジアで連帯する流れがあったことも歴史的な事実である。またアジア連帯を意識せざるを得なかった当時の国際情勢もある。東洋の歴史認識の問題を取り上げるならば、少なくとも19世紀前半から現代に到るまでの視野に入れる必要がある。近視眼的な見方ではこの歴史認識の問題は解消されない。

10)日本は自治権の回復を目指すべきであること。日本という国を東洋圏の一つの地域と捉えた場合、日本の自治は確立されていない。たとえば、日本の生活に必須である大豆や麦の食料自給率は著しく低く、家畜用飼料の穀物自給率も同様に低い。食の安全保障を他国に依存している。それ以外にも石油やウランなどのエネルギー自給も他国に依存している。また、日本領空の多くの部分はアメリカ軍に帰属しており、アメリカ人は米軍基地を経由すれば入国審査を経ずに入国することが可能である。これらの点を挙げても、日本に自治が確立されているとは言えない。自治が確立されていないとすれば、日本社会と関連社会に構造的な収奪と隷属が存在する。日本はこの状況を見直し、自治権を回復するべきである。

11)東洋自治は、東洋の安定と平和に寄与すること。東洋圏を一つの大きなシステムとして考えれば、国や地域はそのサブシステムである。国と地域が依存性の低い循環型の自治を確立することができれば、平和的な交易が交流が促進される。こうした平和的な交流は、東洋圏の緊張を緩和させ、安定をもたらす。この東洋圏の平和と安定こそ、この地域に住む人々の願いである。

以上のように思いつく限りで、東洋自治論のポイントを取り上げた。『大学』に「格物致知誠意正心修身治国平天下」という言葉がある。天下を平和にするためには、国を治めなければならない。その道を紐解くと最終的には自らの認識や心を正していくことに行き着く。僕たちの歩むべき道はすでに示されている。だから、時代の変化に柔軟に対応し、改めるべき箇所は変更し、守るべきものは守る。それが天下泰平の王道ではないか。

つづく。