東アジアの平和のために、日本の西郷隆盛、中国の孫文、朝鮮の安重根を讃えませんか?

日本は、アメリカばかりではなく、アジアにも心ある眼差しを向けてほしいです。

次の時代のステージに進むためにも過去からの学びは不可欠です。

ある歴史家が「歴史には解釈しか存在しない」という言葉を残しました。歴史の難しさは「このようにあって欲しい」という願望と「このようであった」という事実が複雑に絡み合ってることから生まれます。新しい証言や資料が発見されれば、歴史的に正しいとされる内容も変化してきます。歴史は僕たちの心や感情と深い結びつきがあります。人々の自尊心に関わるため、とてもセンシティブな領域でもあります。

日本と中国と朝鮮(韓国と北朝鮮)の関係を考えたとき、歴史問題は必ず壁になります。問題を棚上げし、対話のテーブルを作る努力が行われてきました。そもそも国が違えば、共有の歴史認識を作り出すことは不可能に近いでしょう。しかし、どこかのタイミングで歴史問題に対して特定の回答が求められるかもしれません。そんな来たるべき日のために、対話の土台を作りだしていく作業も必要ではありませんか。

対話の土台なんて・・・と思われるかもしれません。もちろん、そのことですぐに社会が変わるわけではありません。しかし、様々な分野でお互いが良き未来のために少しずつ歩み寄るのは長い視点で大切だと考えます。少なくとも僕は軍事や武力による解決ではなく、対話による平和的な解決を心から望んでいます。

僕は、日本と中国と韓国で未来志向の対話をしていくために、それぞれの国で大切にされている人物や事柄を尊重し合うことを提唱したいです。それが、日本にとっての西郷隆盛、中国にとっての孫文、朝鮮にとっての安重根です。

前提として、幕府側や沖縄の人々にとっての西郷隆盛像、台湾の人々にとっての孫文像、日本人にとっての安重根像は、必ずしも好意的ではない側面があると思います。その意味では僕も一面的なものの見方しかできていません。ですが、僕は西郷隆盛、孫文、安重根が東アジアの未来のための重要人物だと考えています。なので、僕はこの三人を共に讃えたいです。

西郷隆盛は、明治維新(御一新)の中心人物です。1894年に内村鑑三が日本文化を世界に伝えるために記した『代表的日本人』という本で最初に登場するのが、西郷隆盛です。そこでは「新日本の創設者」と紹介されています。内村鑑三は、西郷隆盛がなくして革命はなかっただろうと評価しています。西洋の列強国がアジアを侵略の手を広げていた幕末に、対処をめぐり対立を続けていたとしたら、日本は西洋列強国の植民地になっていたかもしれません。

「敬天愛人」という言葉にも現れるように、西郷隆盛は仁愛を重んじた人物でした。人間の生き方として追い求めた仁愛の道を国家建設に押し広げようとしました。西郷隆盛が明治維新(御一新)によって目指した理想国家とは、道義国家です。外見的な荘厳を求めたり、残忍酷薄を行うような野蛮国家ではなく、仁愛を本にした真の文明国として日本を作り上げようとしました。

また、西郷隆盛が朝鮮に対して武力的な圧力による条約の締結を目指す征韓論を主張したと言われることがありますが、これは正しくありません。西郷隆盛は武力による外交を拒否し、自らが全権大使として朝鮮に向かい、直接対話を求める平和的な外交を目指しました。西郷隆盛が武力的な征韓論ではなく、平和的な遣韓論を唱えたことは、ここに明記しておきます。

中国の孫文は、中華人民共和国と中華民国の両岸で国父として現在も尊敬されています。孫文は、中国で起こった辛亥革命の指導者です。当時の中国は少数派の満州人によって統治された君主制の清王朝でした。1840年に起こったアヘン戦争以降、清国は西洋の国々との不平等条約を結ばされ、人々は疲弊していました。産業を興し、富国強兵によって国力を上げる改革が求められているにも関わらずに、抜本的な改革は遅れていました。孫文は、こうした状況の中、中国の生き残り懸けて立ち上がりました。孫文は、民族主義、民権主義、民生主義の三民主義を理念に掲げ、そして1910年に革命を達成します。

辛亥革命と日本の繋がりは深いです。福岡市内の南公園に「中山記念碑」という孫文の記念碑があるのをご存知ですか?この記念碑には、福岡の人々が孫文に支援をしたと刻まれています。歴史の表舞台から隠れてしまっていますが、実は福岡の炭鉱で稼がれた莫大な資金が中国の辛亥革命のために使われていました。僕が聞いた話によると、現在の日中関係の悪化により、自らの祖先が炭鉱主として辛亥革命に協力したことを表に言えない方々がいるそうです。日本と中国との友情の物語は、残念なことに政治的な対立のため歴史上かき消されてしまっています。彼らの友情がなければ、今の中国は存在しなかったでしょう。

孫文の辛亥革命の支援は、福岡の玄洋社という団体が大きく関わっています。玄洋社は、西郷隆盛の精神を受け継いだ志士たちによって作られました。彼らは中国だけでなく、アジアの植民地を解放するために、民衆の側から様々な取り組みを行いました。なぜ玄洋社や九州の人々は孫文やアジアの国々を支援したのでしょうか?それは植民地での搾取や悪政に苦しむ人々を不憫に感じたからではないでしょうか。内村鑑三は『代表的日本人』として西郷隆盛を取り上げました。西郷隆盛が大切にした仁愛とは、西郷隆盛だけが特別に持っていた心ではなく、当時の日本人の多くが持っていた心だったと感じています。だからこそ、西郷隆盛が多くの日本人の代表になり得たのだと理解しています。

孫文は、辛亥革命を遂げた1924年に神戸を訪れ、玄洋社の頭山満と面会した翌日に「大アジア主義」という演説を行なっています。その演説はこのような言葉で締めくくられます。

「あなたがた日本民族は、欧米の覇道文化を取り入れた上に、アジアの王道文化の本質をも持っていますが、今後は世界文化の前途に対して、結局のところ西方覇道の手先となるのか、それとも東方の防壁となるのか、それはあなたがた日本国民の、詳細な検討と慎重な選択に懸かっているのです。」

今の日本は、西洋の番犬なのでしょうか、東洋の守護者なのでしょうか?今の中国は王道の国なのでしょうか、覇道の国なのでしょうか?覇道の国に未来がないことは、中国が一番よく知っていることではないでしょうか?

最後は、朝鮮の安重根です。安重根は、朝鮮の愛国者であり、教育者であり、独立運動家であります。1909年に満州のハルビン駅で伊藤博文を暗殺したことで逮捕され、1910年に処刑されました。

僕は今年の9月に韓国ソウルを旅していました。そして「安重根義士記念館」へ訪れました。この記念館の職員の方に話を聞いてみると「安重根は愛国者であり、東洋平和を願っていた。」と話していたので、僕が「安重根は伊藤博文の暗殺者です。暗殺と平和がなぜ結びつくのですか?」と質問をしました。すると、その職員さんは「朝鮮にとって伊藤博文は拡大主義の象徴でした。伊藤を倒すことは、日本の拡大主義を止め、東アジアの安定のためには必要だったのです。」と答えていました。また「韓国で安重根は愛国者で、伊藤博文は侵略者です。一方で日本で伊藤博文はヒーローで、安重根はテロリストでしょう。けれどもこの認識の違いは当然のことです。時間はかかるけれども、お互いの認識を深めるべきです。」とも語っていました。

僕が滞在していたゲストハウスのオーナーである韓国人に安重根義士記念館へ行ってきたことを伝えると、「私たちの偉大な精神に関心を持ってくれてありがとう」と優しい眼差しで僕に言葉をかけてくれました。それだけでなくソウル市内の地下鉄に安重根が書いた「為国献身軍人本分」掛け軸がさりげなく飾ってあることも踏まえると、安重根の存在は韓国の人々の深いところに位置付けられているのだと感じました。

安重根は獄中で『東洋平和論』を書いています。安重根はこの本を完成させる前に処刑されてしましますが、『東洋平和論』は注目すべき先駆的な内容です。この本では、帝国主義の時代に中国、韓国、日本が連帯して、ヨーロッパの列強国による植民地支配に対抗するべきだと考え、旅順を永世中立地にするという案を出しています。その中で「中国、韓国、日本の三国による東洋平和会議の設置」「共同銀行設立や共同貨幣の発行」「平和軍の育成」「少なくとも二ヶ国語が話せる青年の教育」など具体的な指針をあげています。これは現在の東アジアの集団安全保障体制や東アジア共同体に先駆けとも言えるアイディアでしょう。

僕が読んだ文献によれば、安重根の刑務所での態度は非常に立派だったので、日本人の検察官や判事や看守に深い感銘を与えたそうです。安重根は看守をしていた千葉十七と特に親しくなり、「いつの日にか、韓国に、日本に、そして東洋に本当の平和が来てほしいのです。千葉さん、わかってください。伊藤博文にはまったく私怨はなく、公にも家族にも深くお詫びを申し上げたいです」と思いを打ち明けていたそうです。安重根は、千葉十七に書を送っています。千葉十七はこの絶筆を大切に保存し、安重根生誕百周年記念式典の際に返還したそうです。その書が「為国献身軍人本分」です。

西郷隆盛、孫文、安重根への思いを書きました。彼らに共通しているのは、アジアに迫る危機を乗り越えるためにアジアの連帯を訴えたことです。この文章を書き進めていて気づいたことがあります。彼らが生きた時代と今僕たちが生きている時代の状況は、ほとんど変わっていないという現実です。彼らが願った東アジアの平和と安寧は果たして実現しているのでしょうか。

今の東アジアでは武力と圧力による威嚇が繰り広げられています。この状況は僕たち東アジアの人々が忌み嫌う覇道文化そのものではないでしょうか。僕たちは過去と切り離された時間に生きているのではなく、連綿と続く歴史の上に生きていることを自覚するべきです。彼らが目指した夢は、道半ばで実現されていません。先人たちの思いを少しでも前進させるのが、現在に生きる僕たちの役割ではないでしょうか。今こそ時代が生んだ偉大な精神に学び、次世代のために天下太平に向けて進むべきであります。

東アジアの王道回帰を求めて。

つづく。