台湾とは、僕にとって不思議な地域に見えました。「台湾」という国名は正式に存在しませんが、台湾という島は存在します。国連には「中国」という国名が登録されていますが、これは「中華人民共和国」のことです。けれども、台湾政府は自らを「中華民国」と名乗っています。実際に中華民国のパスポートが存在し、約20カ国と国交を持っています。そして、台湾は親日というイメージもありますし、かつては日本の植民地でしたので、日本とも関係があります。沖縄の石垣島と台湾は、約280kmほどしか離れていなく、天気が良ければ、石垣島から台湾の島が見えるそうです。最近は学生が国会内を包囲したり、民進党に政権が変わったりと政治的な印象もあります。

「日本の隣にあるのに何も知らないな」と感じたのが訪問のきっかけです。これから台湾訪問で印象的だったことを記しておきたいと思います。なお僕が理解している限り、台湾を巡る状況として大きく3つの勢力が存在してます。①中華人民共和国政府を中国の正統と考えて、台湾を中国の一部と考える勢力(一つの中国)②中華民国政府を中国の正統と考えて、台湾を中国の一部と考える勢力(一つの中国)③台湾の独立を目指す勢力。これから僕が書くことは、特定の勢力に賛同する目的はありません。あくまで僕が台湾を訪れ、自分の目で見て感じたこと、考えたことを書いています。

中華民国総督府に行きました。赤レンガのとても美しい建物です。ここは中華民国政府の総督が仕事をする場所です。日本でいうと首相官邸、アメリカでいうとホワイトハウスみたいな場所です。台湾は、行政のリーダーを直接選挙で選ぶ仕組みなので、大統領制に近い統治モデルです。この建物は、日本の植民地時代に日本政府が建てました。そこには、台湾を植民地統治するための台湾総督府という日本政府の出先機関を設置されました。現在、台湾総督府は見学ができます。僕は平日に訪れたのですが、他の見学者もチラホラいました。

見学の手続きを済ませると、運良く日本語のガイドさんと一緒に回ることができました。ガイドの名前は「林宗澤」さん。現在、82歳でとても優しくてお元気な方です。林さんは、小学3年生まで日本の植民地時代の教育を受けていたそうです。日本が敗戦し、日本と入れ替わる形で台湾に中国大陸から国民党がやってきました。林さんは日本語教育を受けていたので、日本語が話せましたが、国民党は日本語を禁止したために、林さんは日本語を使うことができなくなったそうです。台湾の民主化が進み、日本語を使っても大丈夫になりました。林さんは「今は忘れてしまった日本語をもう一度使いたい」と奮起して、独学で日本語を学び直したそうです。そして現在は日本語ガイドのボランティアとして総督府で働いています。

「この建物は、日本時代も、そして現在も台湾政治の中心です。」と流暢な日本語で総督府の説明をしてくれます。「政治の中心の建物だから堅苦しい感じの展示なのだろう」と思っていましたが、建物の中に入ると、とても綺麗に整備されていました。展示用の部屋がきちんと設けられているので、まるでモダンな博物館のようです。僕の憶測ですが、台湾政府はこの建物の台湾をアピールする広報機能を持った場所として使っているようにも思えました。確かに外国人も訪れるので効果的かもしれません。

最初の展示ブースでは総督府の建物についてでした。ここで林さんからこんなこと聞きました。「総督府は60メートルもあります。そのシンボルは真ん中にある高いタワーです。実はタワーの頂上には、日本時代の台湾総統が捧げたお札があります。そのお札は今でも大切に保存されています。台湾の人々は、歴史をとても大切にしています。」

「台湾の人々は歴史を大切にする」。このことは台湾を訪れて節々に感じたことです。台湾を理解するキーワードになるようにも思えました。

また、林さんからは「日本の植民地時代では、児玉源太郎と後藤新平がとても良い政治をしてくれました。児玉源太郎が亡くなったとき、台湾人はとても悲しんで、民間で寄付を募って記念館を造りました。その記念館の前には、児玉源太郎と後藤新平の銅像がありました。現在その記念館は、国立台湾博物館として使われており、児玉源太郎と後藤新平の銅像は博物館の中に飾られています。」。

林さんは、植民地時代の日本を好意的に考えているようで、とてもにこやかに語っています。中華民国総督府も、国立台湾博物館も、建物の再利用です。最近では、台湾の街中では昔の工場の跡地をリノベーションして、オシャレなカフェやイベントスペースにしています。どこまで台湾人に共通して言えるか分かりませんが「歴史を大切にする→過去を上手く再利用する」という発想があるように感じます。これはもしかすると過去の物語を未来に受け継いでいくために台湾人が編み出した知恵なのかもしれません。

まだまだ驚きが続きます。陳澄波という画家の自画像が飛び込んできました。陳澄波は、「二・二八事件」という国民を弾圧する事件で政府によって銃殺された画家です。現在は世界的な評価も受けているそうです。ちなみに陳澄波は、大正末期に現在の東京芸術大学である東京美術学校で学んでいます。林さんに話しを聞くと「二・二八事件が起こったのは、1947年です。そして、2017年はこの事件から70周年です。それを記念に総督府で二・二八事件に関する展示を行なっています。」


僕はとても驚きました。二・二八事件は、当時の台湾政府が国民を銃殺した悲劇です。政治の中心であるこの建物で二・二八事件を隠すことなく伝えています。そして、悲劇の象徴である陳澄波をとても強調しています。林さんは「当時は二・二八事件の遺族は弾圧されました。けれども今では和解が進んでいて、遺族たちは大丈夫です。二・二八事件は今でも解明されていないところがあり、調査が進んでいます。」と相変わらず丁寧な口調で話してくれました。

次の展示は、台湾原住民についてでした。台湾原住民とは、17世紀頃から中国大陸から漢民族がたくさん移民が来る前に、台湾に住んでいた人々のこと指します。現在でも16の民族が政府によって認定されています。林さんの曰く「原住民に関する研究が進んでいて、3万年前から台湾にいたという研究もある。」らしいです。また、興味深いことに台湾を起源に南東系語族が東南アジアを中心に西はマダガスカル、東はイースター島まで船を使って広がっていったという話しを聞きました。台湾の原住民は、こうした地域のルーツになっているのかもしれません。

台湾の原住民の人口は、全体の2%です。現在では台湾原住民の権利を守ろうとする運動があります。台湾政府と原住民との関係は完璧ではないにせよ、総督府の展示で原住民のスペースを設けていることは、彼らへ配慮する姿勢が伝わってきました。

「台湾ではデモが盛んです。台湾では人々が自由と権利を求めてたくさんのデモを起こしてきました。」と林さんは次の展示室を案内してくれました。1987年に民主化されてから、台湾では数多くのデモが行われています。また、2009年には同性愛を認めるデモがあったようです。一般的に考えると、デモは当時の政府に対する抗議行動なので、政府によって都合が悪いこともあるでしょう。けれども、台湾政府はデモの歴史を自らの歴史の一つしてしっかりと位置付けていました。二・二八事件、原住民、デモ、とても政治的なものが、総督府の中に飾ってあります。台湾の人にとって「歴史を大切にする→隠さずに歴史を伝える」ということを意味するのかもしれません。


他にも歴代の中華民国の総統、台湾の農業や漁業に関する展示もありました。最後に印象に残っているのは、若手アーティストの展示です。台湾を表現した様々な絵が飾ってありました。林さんは一つの絵を指してくれました。「この絵は台湾を分かりやすく表現しています。元々は原住民や動物たちが住んでいました。台湾は、オランダ、清王朝、日本、国民党によって統治されてきました。鄭成功による短い統治もありました。台湾にはとてもたくさんの歴史があります。」

林さんとの時間はとても楽しくて別れが本当に惜しかったです。林さんは最後に「私は日本と台湾の架け橋になりたい。あなたに会えて良かった。」と優しい言葉をくれました。

とても学びと刺激が多い台湾総督府でした。

つづく。