日本において、憲法は誤解されてします。そして、その誤解によって私たちは自分たちの力を過小評価しています。

憲法に関する説明や定義を聞くと「憲法とは、権力を縛るものだ」と良く出てきます。確かにそれは憲法の一つの側面ではありますが、それが憲法の全てなのでしょうか。世界の憲法を見てみましょう。例えば、フランスとイタリア。

フランス憲法 第2条

4.共和国の標語は、《自由、平等、友愛》である。

The maxim of the Republic shall be “Liberty, Equality, Fraternity”.

イタリア憲法 第1条

1.イタリアは、労働に基礎をおく民主共和国である。

Italy is a democratic Republic founded on labour.

これらの条文は、権力を制限するものでしょうか。間接的には、そのような解釈も可能かもしれませんが、これらは国の理念やゴールと言ったほうが正しいでしょう。

国には多様な価値観を持つ人が存在し、様々な利害が存在します。全ての人が満足するようなルールを制定するのが理想的ですが、現実的にはお金と時間は限られています。人々の意見を調整することばかりやっていては、お金と時間ばかりを費やし、一向に問題が解決されていきません。何を優先すべきかを迷ったときに、頼りにするのが国の理念やゴールです。ドラマや映画で時々見かける、ある会社が経営難に陥ったときに「今は立ち返るべきは創業の理念だっ!」という類のシーンです。

つまり、国の理念やゴールとは、国民の多数の合意であります。その合意した内容が憲法に記されています。国家は、その理念に基づいて運営されていきます。

憲法の話に合わせて言えば、すべての国民(政治家も含む)が「権力は、けしからん。憲法で縛るべきだ。」とだけ言っていては、何も進みません。時間が過ぎていくだけです。注意してほしいのが、僕はここで「憲法とは権力を制限する」という機能自体を否定しているのではなく、「権力の制限」が憲法の全てであるという意見に疑問を持っています。

それでは、「権力」とは何でしょうか。そして、憲法でよく出てくる「権利」とは何でしょうか。難しい状態に遭遇したときは、シンプルに考えましょう。「権力」と「権利」を英語に置き換えてみます。

権力 = Power
権利 = Right

どちらも小中学生でも知っている英単語ですね。ジョン・レノンは「Power To The People」という有名な歌を歌っています。あとは、僕の好きな言葉の「オーライ!」は、「All Right」のことです。英語に置き換えると、権力と権利は、次のように理解できます。

権力 = Power = 力(善でもなく、悪でもなく)
権利 = Right = 正しいこと・良きこと

さて、ここで世界の憲法を見てみます。スウェーデンとフランスです。

スウェーデン憲法 第1条

1.すべての公権力は、国民から発する。

All public power in Sweden proceeds from the people.

フランス憲法 第2条

5.共和国の原理は、人民の、人民による、人民のための政治である。

The principle of the Republic shall be: government of the people, by the people and for the people.

スウェーデンの憲法では、「公権力(Public power)は、国民から生まれる」と書いてあります。フランスの憲法の書き方が違いますが、政治とは国民が主体で行うものだと書いています。つまり、民主主義社会においては、「権力(Power)」は、私たち国民から生まれます。むしろ、私たちは、力(Power)そのものです。

「権力は、けしからん!」「権力は、悪だ!」と、権力(Power)そのものを否定することは、民主主義社会において、私たちが社会の主役であること、私たちは社会を変えていく力(Power)を持っていることを自己否定することと同じです。重要なことは、力(Power)をそれ自体を否定することではなく、力(Power)の向き先や使い方を工夫することではないでしょうか。憲法に書かれた理念やゴールとは、この力(Power)の方向性を示しているものだと、僕は考えています。

権力・力(Power)と民主主義の関係を簡単に図式すると、次のようになります。

青い丸が権力(Power)です。多くの民主主義の社会では、一人一票という形で、権力(Power)がみんなに配分されています。民主主義では、選挙や国民投票という形で国民に配分された権力(Power)を集約します。そして、多くの権力(Power)が集まったほうが相対的に正しいと考えます。これが多数決の原理です。政府とは、この多数決の原理により、国民の多数による権力(Power)によって生み出されます。政府は、国民の多数による権力(Power)という裏付けを根拠にして、様々な政策を実現してきます。

もし、民主主義の国ではない社会体制では、王様や一部の特権階級が権力(Power)を独占しているので、自分たちだけで社会の方針やルールを決めることができます。民主主義の歴史とは、社会の方針を決める権力(Power)の持ち主を、限定された人々から多くの民衆へと変えてきた歴史とも言えます。民衆が判断することが必ず正しいとは言えませんが、民主主義の前提は、人々の良識や良心に信頼を置いていると言えます。

権力(Power)と民主主義の話をしたところで、権利(Right)の重要性が出てきます。その時、その場所の多数決で決めたことが本当に正しいのでしょうか?その正しさの保証はどこにありますか?例えば、こんな質問を投げかけてみます。

「あなたは、朝食にお米を食べますか?パンを食べますか?」

この答えは、質問をする地域や年齢によって変わってきそうですね。もし、あなたが5人の友達と一緒に旅行をしていて、宿の朝食はグループでお米かパンかの1択しか選べなかったとします。あなたはパンを朝食に食べたかったとしても、他の4人の友達がお米を選んだら、その場の流れ的に(多数決で)、お米の朝食が出てきます。あなたは少し不満に思うかもしれませんが、朝食程度なら我慢できるでしょう。けれども、あり得ないとは思いますが、この話が拡大し、「朝食にパンを食べるのは、けしからんから、彼らの税金を高くしよう!」となったら、あなたはもう我慢できません。しかし、多数決の原理で言ってしまえば、この不条理も通ってしまいます。

こんな時にあなたを助けてくれるのが、権利(Right)です。権利(Right)とは、その時の権力(Power)から、あなたを守ってくれるものです。権利(Right)は、「多数決も大事だけど、人として守ったほうがいい正しさもあるぜっ!」と教えてくれます。憲法には、誰からも奴隷にされない身体の自由、自分で稼いだものを財産として蓄える自由、自分の思ったことを表現できる自由などの権利(Right)がたくさん書いてあります。憲法が権利(Right)のカタログと言われる理由です。

つまり、憲法とは、権力(Power)と権利(Right)という二つのせめぎ合う概念が記されています。どちらも大切ですが、どちらかだけでは社会がうまく機能しないというのが、民主主義の教訓です。結局は、バランスなのかもしれません。

例えば、累進課税制。これは給料が高い人の税率が上がる税制です。日本もこの累進課税制を採用しています。けれども考えてみれば、その人の能力によって稼いだにも関わらず、なぜ給料が低い人よりも税率が高いのでしょうか。給料の金額に関わらず、税率を一律にしたほうが平等と言えるかもしれません。「お金持ちから、たくさんお金をもらって良いだろう」と、あなたは考えるかもしれません。しかし、その時あなたは多数派、つまり権力(Power)側にいることを思い出さなければなりません。

注意すべきは、「あなたの主張する内容は、どの立場からなのか?」に意識を向けることです。あなたの主張する内容が多数派からであれば、それほど気にすることはないでしょう。なぜなら、あなたの主張する内容はある意味で社会の常識(常識という言葉も曖昧ですが)なので、すでに受け入れられています。

しかし、逆の場合は、よく考えなければなりません。あなたの主張する内容が、社会一般から少数派であったならば、「私の主張する内容は、正しい!私の意見を理解できない人は、間違っている。さらに問題意識がない人は、無知であり、恥である。」というスタンスは適切とは言えません。

あなたの主張する意見を実社会に具体的に反映させるためには、多く人々の合意という力(Power)が必要です。これは、あなたの主張が正しいとか、間違っているとか、とは少し性質の違う問題です。あなたが少数派であれば、攻撃的な言論を繰り返し、敵をたくさん作るよりも、仲間を作る方法や人々へのアプローチを工夫したほうが良いはずです。ただ、あなたが言論的な立場で、自分の意見を主張することが目的ならば、特に気にする必要はありません。要するに「自らの意見の主張」に重きを置くのか、「社会の動きを作る」に重きを置くかという目的の違いだと思います。

権力(Power)と権利(Right)は、相対的な問題であり、絶対的な答えがありません。なので、なるべく多くの人が納得できるような合意を作り出していく必要があります。

つらつらと書いてきましたが、以上は僕の憲法観に基づく考えです。他の方とは、考えの違うポイントもあると思います。僕の考えでは、「憲法は権力を縛るものである。権力は悪だ。」という考えが広がり過ぎているという認識です。これは正しい理解だとは考えません。例えば、スウェーデンの憲法を見れば、権力は私たちであることは明確です。

日本の憲法議論には、欠陥があります。こんな状態でいくら議論を積み重ねても、長期的な目線で実りに繋がることは少ないように思います。いうならば、今の憲法議論は、穴の空いたバケツに水を注ぐようなもので、勢いよく水を注いだほうが勝つゲームです。結局は、その時にお金をより多く持ち、声のより大きい人の意見が勝ちます。

僕は、憲法が前提とする理念に思いを馳せてほしいです。「私たち一人一人は、社会を良く変えていく力を持っている。」まずは、そこからがスタートではないでしょうか。

つづく。