2018年1月24日から1月31日まで、中国の香港と広州を訪れていました。この中国旅行記では、そんな旅を通して、肌で感じたことや考えたことシリーズに分けて書いています。

まずは、なぜ私が中国へ旅行しようと思った理由についてお話しします。私が中国について思いを馳せるようになったのは、この記念碑の存在を知ってからです。

この記念碑は、福岡市内の南公園にある「中山記念碑」というものです。「中山」とは、中国革命の指導者であった孫文のことです。孫文は、「孫中山」「孫逸仙」など複数の名前を使っていました。そして、この記念碑には「福岡の人々が孫文に支援をした」と中国語で書かれています。この頃から私の心の中で「日本と中国の歴史的な繋がり」というものを意識し始めました。

それでは、なぜ私が福岡に行ったのかを話すと話が長くなるので、ここでは割愛しますが、人のご縁で福岡にいる人たちとの付き合いが始まりました。福岡でお世話になっている方々は、情に厚く、おおらかな心の持ち主ばかりです。そんな福岡の方々との付き合いがきっかけで1年間に4回くらい福岡に通った時期もありました。

福岡に歴史に詳しい浦辺登さんという作家がいるのですが、私が日頃からお世話になっている方でもあります。浦辺さんには、私が福岡へ行くたびに歴史の話を聞かせてくれます。さきほど話に出てきた「中山記念碑」も、その歴史の話の中で教えてもらったものです。

福岡に歴史に詳しい作家の方がいるのですが、私が日頃からお世話になっている人でもあります。この方には、私が福岡へ行くたびに歴史の話を聞かせてくれます。さきほど話に出てきた「中山記念碑」も、その歴史の話の中で教えてもらったものです。

ある日その作家の方が、私にこんなことを話してくれました。「日本と中国には、協調の時代があった。現在の情勢では、ああだこうだ言われているが、日本と中国が手を取り合った歴史を忘れてはいけない。」この言葉が私の中でジーンと感じるところがありました。私の中国への関心の広がりは、私と福岡の出会いから始まったのです。福岡という地域には、私の好奇心を揺さぶる精神文化があったのだと思います。

アヘン戦争以後、中国は西洋の国々によって分割され、弱体化の一途を辿っていました。そのような中国の危機に対し、強い中国を取り戻し、少数派の支配から自分たちの国を作ろうと人々が立ち上がりました。そして、2000年以上中国に続いた専制君主制を打倒し、アジアで最初の共和国が設立されました。孫文とは、一連の中国共和革命を導いた中心的な人物です。

中華人民共和国憲法の前文にも辛亥革命がこのように記述されています。

「1911年、孫中山先生の指導する辛亥革命は、封建帝制を廃止し、中華民国を創立した。しかし、中国人民の帝国主義と封建主義に反対する歴史的な任務は、まだ達成されていなかった。」中華人民共和国憲法 前文

辛亥革命とは、中国の歴史上の転換点であり、中国を知るには大切な事件であると言えるでしょう。

『孫文革命文集』という本があります。孫文が書いた文章や演説を読んでいると、ひらすらに国情を憂い、中国の回復を心から望む愛国者の叫びであることが分かりました。そんな魂のこもった言葉に触れているうちに、日本にも孫文のような愛国者が必要であると考えるようになりました。孫文という人物が、どのような理想を掲げ、その理想を実現するために、どのように人々を組織し、物資を調達したのか。中国共和革命を時代的な民衆運動と捉えて、日本に役立てることはできないのかという視点で辛亥革命を眺めるようになりました。

「日本と中国の協調」というのが辛亥革命を学ぶきっかけであったとすれば、そこから日本においても辛亥革命のような変革が必要であると認識が深まったと言えます。ここで誤解が生まれそうなので、一言付け足しておきます。私は辛亥革命について知りたいのは「日本の王制を打倒したい」からではなく、「強く豊かな日本を回復したい」からです。

この視点に立てば、私は辛亥革命を次のように見ています。「中国では、辛亥革命という民衆の幸福と自国の強化を理念に、自国の危機を自国発展のチャンスに変えた運動があった。もし日本でこのような変革運動を起こすには、何が必要なのか。」と。

私は、孫文の辛亥革命の意義を王制から共和政という単なる政治体制の変更と捉えるのでは、表面的な分析であると考えます。孫文が目指す理念が多くの中国民衆を感化させ、革命という一大事業を成し遂げたのは、多くの民衆が心の底に抱く希望を掴んだからだと理解しています。

「清王朝打倒」だけが孫文のメッセージであったとすれば、多くの人々が孫文を支援することは有り得なかったでしょう。現在の体制を変更し、その先に実現したいビジョンを孫文は「三民主義」として提唱しました。そこには中国人民だけではなく、人類の普遍的な願いに触れることも含まれていたのではないでしょうか。だからこそ、中国国内だけではなく、海外からの様々な支援が得られたのだと考えています。

孫文は、1924年11月28日に神戸高等女学校の講堂で『大アジア主義』という演説を行なっています。この演説は、アジアが持つ固有の文化を大切にし、世界的な危機を乗り越えようと訴えています。そこで孫文は、武力によって他者を脅し、支配する「覇道」的な文化とし、これはアジアの文化ではなく、徳によって相手を慕わせるのが「王道」であり、これこそがアジアの伝統的な価値観だと述べています。孫文の演説では、このようなことを述べています。

我々は今「大アジア主義」を論じ、ここまで検討してきましたが、結局どのような問題なのでしょう。簡単に言えば文化の問題であり、東方文化と西方文化の比較と衝突の問題なのです。東方の文化は王道で、西方の文化は覇道であり、王道を唱えるのは仁義・道徳を主張することで、覇道を唱えるのは功利・強権を主張することであります。仁義・道徳を唱えるのは、正義・公理により他者を感化することで、功利・強権を唱えるのは、鉄砲・大砲により他者を圧迫することです。『大アジア主義』孫文

もちろんこの演説が日本人に向けて話された目的や意図を考慮しなければならないです。この演説では、東洋文化と西洋文化を対立的に論じていますが、ここで大切なことは、東西の優劣が最重要な問題なのではなく、自らの文化や価値観に根ざした変革を、自国民のために成すべきだという点でしょう。そのことは、次の言葉からも読み取れます。

我々が現在の新世界にあって、我々の大アジア主義を築き上げるには、何を基礎とすべきでしょうか。それは我々固有の文化を、基礎とすべきであります。道徳を唱え、仁義を説くべきであって、仁義・道徳こそ我々の大アジア主義の優れた基礎なのです。我々は、この優れた基礎を持つとともに、さらにヨーロッパの科学を学び、工業を振興して、武器を改良すべきであります。しかし、我々が工業を振興し、武器を改良して、ヨーロッパに学ぶのは、決してヨーロッパに学んで他の国を滅亡させ、他の民族を圧迫するためではなく、我々は自衛のために学ぶのです。『大アジア主義』孫文

中国共和革命がこのような考えを持つ人物が中心になって行われたことをもう一度注意深く検討する必要があります。今の東アジアの情勢を孫文は果たしてどう感じているのでしょうか。それは、武力によって相手を威嚇し、脅すような覇道の姿ではないでしょうか。もちろん様々な利害や思惑が衝突する国政政治においては、綺麗事で済まされない側面があることも事実です。しかし、それだけが私たちの進むべき道ではないことも事実です。孫文は、私たちが歩むべきもう一つの道を「王道」という言葉に託しています。

ここに私の辛亥革命の関心の道が広がることになります。それは、東アジアの復興という観点です。それは物質世界の経済的な繁栄だけではなく、人間の内面を豊かにするような文化的な価値が重要になってくるでしょう。アジアという地域を軍事力の競争ではなく、文化や道徳の競争をするような地域にするのが、私の願いであります。

以上をまとめると私が辛亥革命を学ぶ理由は、次の通りであります。①日本と中国が協調していた歴史を忘れないため、②日本変革の先行モデルとして研究するため、③東アジアの復興のため。

このような関心により「どうしても中国に行ってみなくては!」と思い立ち、中国の旅行が始まります。

つづく。