2018年1月24日から1月31日まで、中国の香港と広州を訪れていました。この中国旅行記では、そんな旅を通して、肌で感じたことや考えたことシリーズに分けて書いています。

香港には、『孫中山紀念館』という辛亥革命の指導者である孫文を讃えた記念館があります。この記念館は、僕がずっと訪れたかった場所の一つです。

この敷地内には、若き日の孫文の銅像があります。僕は、ふとこの銅像の前で立ち止まりました。そして「将来は国父と仰がれるまでになる、この青年の胸には一体どんな想いがあったのだろうか」と考えていました。銅像は、自らの進むべき道をまっすぐ見ています。

立ち止まって考えていると「孫文が若い時には辮髪だったのか」と気づきます。辮髪と聞けば、人によっては、キン肉マンに出てくるラーメンマンを思い浮かべるかもしれません。何気なく辮髪を中国人のシンボルのように思っている方も少なくないでしょう。

しかし、辮髪のヘアースタイルは、中国の北方民族である満州族(女真族とも呼ばれる)の風習です。当時の中国は、多数派の漢民族は、少数派の満州族によって支配されていました。その国は、清朝と言います。支配者が正統性を示すために、自分たちの文化を押し付けることはよくあります。

漢民族は、辮髪の導入に反対しましたが、清朝は辮髪を拒否する者には死刑を命じました。つまり、漢民族にとって辮髪とは、清王朝への服従の証であったのです。辮髪を拒否することは、清王朝そのものを拒否することであり、そのような反逆者には「死」が待っていたのです。

今を生きる私たちは自由を謳歌しています。もやは「自由」という言葉を意識的に考える機会すら減っていると思います。しかし「自分の髪型を統治者の命令に従わせなければならない」時代があったことを考えると、自由の重みをズッシリと感じます。

孫文は、革命活動をしていく中で、辮髪を切りました。自らの退路を断ち、革命に向けての歩みを進めていくことになります。

孫中山紀念館で「中華民国臨時約法」を見ました。中華民国臨時約法とは、1911年に辛亥革命によって成立した中華民国の暫定憲法です。この暫定憲法は、1912年(民国元年)3月11日に公布されました。

約法の第一条と第二条には、次の通りです。

第一條 中華民國由中華人民組織之
(中華民国は中華人民によってこれを組織する。)

第二條 中華民國之主權屬於國民全體
(中華民国の主権は国民全体に帰属する。)

この条文を実現させるために、革命という過程が必要であったのです。「第一條 中華民國由中華人民組織之」という一文を掲げるために、どれだけの犠牲が払われたのでしょうか。この一文を通して、裏側に潜んでいる多くの物語を感じます。

「自分たちの国を自分たちでつくる。」

この夢を実現するために、革命が求められたのです。

つづく。