2018年1月24日から1月31日まで、中国の香港と広州を訪れていました。この中国旅行記では、そんな旅を通して、肌で感じたことや考えたことシリーズに分けて書いています。

「人民は躍動していた。」

これは僕が中国で感じた一番の印象である。香港経由で深圳に向かった。生まれて初めて中国本土の大地を踏みしめた。

深圳は、1980年に鄧小平が採用した経済開放路線により、経済特区に指定され、急速に発展した街である。その成長ぶりは、深圳モデルという言葉があるくらいに、経済発展の成功事例として評価されている。わずか30年足らずで人口が30万人から1400万人に急増し、この人口の増加を見ても、その成長を凄まじさが分かる。現在は、中国国内では、北京市、上海市、広州市に続く第4位の都市に挙げられている。ちなみに以前の深圳は30万人の長閑な農村であったようだ。

まずは中国の秋葉原とも呼ばれる「华强北(華強北)」へ向かった。一本のメインストリートの両脇にスマホやPCやドローンなどのデジタル機器のショップが立ち並んでいる。最初にメインストリートを歩いていたとき、ストリートの大きさと店の数に圧倒された。




しかし、メインストリートを歩き続けてみると、あることに気づく。アップルやグーグルなどブランド看板があるが、同じ看板が何度も見えてくる。確かに店の数は膨大だけれども、商品のラインナップは似たり寄ったりである。メインストリートは、気合いを入れて華やかに作り込まれているが、メインストリートから道を挟むと庶民的な別世界が広がっている。ストリートには、表の顔と裏の顔がある。


19時を過ぎるとほとんどの店が閉まる。この日は、华强北以外に行く予定がなかったので、この後どこへ行くかをしばらく考える。名案が思いつかなったので、とりあえず気のままに歩いてみることにした。旅は、目的を失ったときからが本番である。

街で生きる人々の生活を観察しながら、ただ歩く。歩きながらいろんなことを考えた。中国では人が強い。ルールが社会を支配しているのではなく、人が社会を支配してるといわんばかりの民衆のエネルギーや活気を感じる。日本で言うと中学生や高校生くらいであろう、あどけない表情の労働者もかなり見かけた。

地面のタイルが剥がれた道にオシャレなカフェの売店があったりする。この欠けたタイルの道を覗き込んで、工事中なのだろうか、剥がれたまま放置されているのか、を思案するものの答えが見つからない。彼らは完成よりも成長を優先させているように感じた。

運転手もかなり激しく、人が歩く歩道を自転車や小型バイクがクラクションを連呼させながら人の波に突っ込んでいく。彼らのたくましさを見ていると、この社会ではルールで人を押さえつけるのは難しいと思った。「上に政策あれば、下に対策あり。」この言葉は中国で何度も聞いた。人民は自分の生命本位に生きている。

そのまま自分の直感に従って歩き続ける。すると、大型のショッピングモールに辿りついた。入り口には、オープンテラスのオシャレなレストランが並んでいるが、座席はほとんど空いていた。この日は金曜日だったので、もう少し人がいても良いのではないかと思った。そのレストランの目の前で1組の親子がボール遊びをしていた。「ショッピングモールでボール遊びか。あまり日本では見かけない光景だな。中国人は自由だ。」と思いながら、ショッピングモールの中へ入ってみる。

奥の方へ行くと、そこ広場になっており、子供たちが明るく遊んでいた。時計を見ると19:30頃であったが、全く帰る気配はなかった。振り返ってショッピングモールの中を覗いてみると、閉店間際のお店の中を子供たちが駆けずり回っていた。

「子どもが多い!!」

そうか、中国は子どもの数が多いのだ。人口比率で子どもが多い社会の雰囲気とはこんな感じなのかと肌で感じる。確かに道ゆく人々は、子ども連れの家族が多かった。この国では、子どもが中心で回っているのだろうかと思ってしまうくらい、子供たちがイキイキとしている。かつての日本の高度経済成長も、このような姿だったのだろうかと思いを馳せる。おじいちゃんが孫の手を取り、ご機嫌に鼻歌を歌いながら、自分の目の前をゆっくりと通り過ぎていく。何とも優雅な光景である。

子どもの声が溢れる街は、とても豊かである。中国の力強さは、子供たちのエネルギーに比例するのではないかと思った。子どもが幸せな社会は、豊かな社会である。

その後も街をフラつく。金融の中心街へ近づいていく。すると、鄧小平の顔が目に飛び込んできた。遠くからではあるが、人もチラホラ見える。地図を確認すると、「鄧小平画像」と書いてあった。確かに遠くからも見えるので、銅像を建てるよりは合理的なのかもしれない。

地下から地上に上がってみると、そこは広場になっていた。そして、おばちゃん達がクラブで流れていそうなポップなミュージックに合わせて軽快に踊っている。これは現代版の太極拳なのだろうか。この踊りには見始めると妙に離れられなくなる不思議な力がある。自分のすぐ隣に踊りをそっと眺めているおじさんがいた。しばらくしてからおじさんのいた方向に振り返ると、おじさんの姿はなかった。よく見ると、そのおじさんはおばさん達と一緒に踊っていた。どうやらこのダンスには人を巻き込む力があるようだ。

ダンスの模様を動画に収めたので、気になる人は見て欲しい。背景にある煌びやか高層ビルとダンスが絶妙にマッチし、幻想的な空間を作り出していた。

鄧小平画像の前にいくと、そこでもたくさんの子ども達が遊んでいる。ときどき鄧小平のポスターを写真に撮っている人たちもいた。今も鄧小平は深圳の人々の間で人気なのかもしれない。深圳は鄧小平の経済開放によって発展した街である。現在の深圳の街を鄧小平はどんな風に感じているのだろうか。「これがあなたの目指した社会ですか」と心の中で呟いた。



僕は、この鄧小平の広場をとても気に入ってしまった。広場にいた人々は、とてもイキイキとしている。夜の22時になっても、人々はずっと楽しげに遊んでいる。政治体制が何であるかという問題はそんなに大切なことなのだろうか。まず民衆が幸せであることが最も大切なことである。民衆が幸せであるならば、国の体制は二の次ではないだろうか。広場での楽しげな人々の姿を見ていると、国家と国家がぶつかり合うのが本当にバカバカしく思えた。本当につまらないことだと感じた。

お気に入りの広場を後にして歩き続ける。何やら賑わったエリアに出てきた。調べてみると、そこは「老街」という場所で、深圳の有名な繁華街である。ちなみに一番最初に中国でマクドナルドがオープンした場所でもあり、経済開放の象徴的なエリアである。


歩いてみると、これでもかというくらいの様々なブランドショップが並んでいる。経済開放とは、こういうことを意味するのだなと感じた。経済を解放すれば、商品とともに海外の文化も入ってくる。老街の街並みや人々の服装を見ていると、日本の渋谷や原宿とそんなに変わらない印象だ。人々の賑わいぶりは僕が過去に訪れたアジアの都市の中でもトップレベルであった。

以前に抱いていた「中国」のイメージがかなり刷新された。中国に詳しい人に「中国は共産党の一党体制ではあるが、経済は自由化が進んでいる。」の意味がようやく分かった。

目的もなくフラフラと散歩していたが、とても刺激的な夜であった。自分の中で様々な価値観が揺さぶられた。宿に帰る前に建設途中のビルを見かけた。きっとこの後の工事で内装され、住居やオフィスとして使用するのだろう。その意味では、建物の命が宿る前の段階である。そして、骨組みだけの建物が、新陳代謝の激しい深圳の街を表すシンボルのように思えた。

僕たちが解放される日は、やってくるのだろうか。

つづく。