「さあ、いらっしゃい。お茶でも飲んでいきな。」

僕は中東のある国を語学研修で訪れていた。その国では、スーク(註:アラビヤ語では、市場をスークと言う)が有名らしく、現地学生の付き添いのもとでスークへ向かった。スークは、日本の下町のアーケード街をさらに大きくしたような作りになっていて、様々な種類の店が隙間なく市場を埋め尽し、地元の買い物客と観光客がひしめき合いながら、とてもエネルギーに満ち溢れた空間を作り出していた。衣服や食品から薬まで生活に必要な物資は、だいたいスークで購入できるらしい。

スークを歩いていてよく見るのが、店主と客が店先でお茶を飲みながら、楽しそうに談笑している光景であった。お茶を飲みながら、ワイワイと世間話しをして、客は一通りの話しが済んだ頃になって思い出したかのように、ついでに買い物をしていく感じであった。近代化が進んだ日本からやってきた僕の感覚では、買い物をしに来ているのか、お茶をしに来ているのか、どちらが目的なのかが良く分からなかった。店を経営するにしても、一人の客にあれだけの時間を使っていては、非効率極まりないだろうとさえ感じた。

スークでの非日常感に驚いていると、さらにもう一つのことを気づいた。それは、商品に値札が付いていないのである。ここには市場価格という概念は存在しない。だから、客は店主に「これはいくら?」と聞かないといけない。そして、店主が値段を答えるが、ここから本当の取引が始まる。だいたい店主が一番最初に答える値段は、通常の価格よりも高めに設定されていることが多く、客は自分の購入したい金額よりもさらに低めの金額で売ってくれと店主に告げる。店主と客の交渉の末に、お互いの間で妥当な金額が定まり、ようやく売買が成立する。こんなこともあろうかと、大学のアラビヤ語の教科書には「市場で値切る」のレッスンが仕込まれていた。

これが中東の市場での日常である。「店の商品に、すべて価格が決まっている」ことは、合理的にシステム化された社会では当然ではあるが、それ以外の論理で成り立っている社会では当たり前ではない。中東では、値段交渉から客と店主の世間話しに内容が発展し、家族や仕事のことや身の回りのことをあれこれと話しをする。店主と客が話しをしていれば、常連客が紛れ込んできて、話しの輪がさらに広がっていく。もはやちょっとしたパーティーである。働いているのか、遊んでいるかの区別がつかない。そんな僕の心配なんか全くお構いなく、彼らはワイワイガヤガヤと会話にふけっていた。なるほど、中東ではお茶が必需品だ。お茶を売るのが中東では一番儲かるのではないかと思ったくらいだ。

渡辺京二氏の『逝きし世の面影』は、幕末や明治時代に日本を訪れた外国人の日記から日本の忘れ去られた姿を追いかけた作品である。中東を訪れた僕の目と幕末に日本を訪れた外国人の目がどこかで重なっているように感じた。

スイスから遣日使節団長として日本にやってきたアンベールは、その当時の日本を見て、古き良きスイスを回想して、このように記している。

「私は幼少時代の終わりごろに、(略)、人々は生活のできる範囲で働き、生活を楽しむためにのみ生きていたのを見ている。労働それ自体が、もっとも純粋で激しい情熱をかき立てる楽しみとなっていた。そこで、職人は、自分のつくるものに情熱を傾けた。彼らには、その仕事にどのくらいの日数を要したかは問題ではない。彼らがその作品に商品価値を与えたときではなく、かなり満足できる程度に完成したときに、やっとその仕事から解放されるのである。疲れがはなはだしくなると仕事場を出て、住家の周りか、どこか楽しい所へ友人と出かけて行って、勝手気儘に休息をとるのであった。」(『逝きし世の面影』P236)

スイスのアンベールが回想したスイスの古き幻影と、その回想を掻き立てた日本の長閑な仕事の雰囲気と、僕が中東で見た市場での光景は、どこかで繋がるところがある。労働とは、遊びであり、人生の喜びや生きがいそのものであった。合理的に発達する前の社会は、労働と遊びは、別れていなかった。東だろうと西だろうと同じような感覚で生活していたのだろう。渡辺氏は同著でこう述べている。

「近代工業の確立とともに軍隊的な労働規律として結晶するような、厳密に計測化された時間とひきかえの賃労働は、徳川期の日本にあってはいまだ知られざる観念だった。ひとは働かねばならぬときは自主的に働き、油を売りたいときにはこれまた自主的に油を売ったのである。アンベールのいうように、日本のみならず19世紀初頭のヨーロッパのおいても、ひとは働きたいときには働き、休みたいときに休んだ。」(『逝きし世の面影』P238)

労働とは、いつから生活の糧を得るためだけの作業に成り下がってしまったのだろうか。物理的に生きていくためだけの労働であれば、人間以外にもカラスやら猫やら街にどこにでもいる野生動物や植物がやっていることである。彼らは誰に教えられるでもなく、自分で生きるための食糧や住処を探して、自らの力で伸び伸びと暮らしている。

将来への下積みでもなければ、自分の人生への足しにもならないような、自分が望まない仕事にどれほどの価値があるのだろうか。確かに社会を回していくために必要な仕事もあるけれども、ロボットや人工知能が発達しているのだから、将来的に人間がやらなくて良い仕事はどんどん機械に任せていくのが良い。その空いた時間で、人間は、人間にしかできないことを追求することができる。

働き方改革とは、働きやすい環境をつくることだけではなく、思わず働きたくなってしまうような労働のあり方に変えていくことであろう。その労働とは、きっと遊び感覚であり、喜びに満ちたものであり、自分の生活とは切っても切り離せないようなものであるはずだ。そうした人間らしい労働のほうが、道理に合うように思える。

遊び感覚としての労働を近代化によって早い時代に失ってしまったスイスでは、労働や人間のあり方を見直す新しい運動が徐々に高まっている。それがベーシック・インカムの導入である。ベーシック・インカムとは、政府から国民への所得保障の一種で、政府が全ての国民に対して最低限の生活を送るのに必要な額の現金を給付する政策である。ベーシック・インカムについての賛成論や反対論は、他のところで述べられているから、ここでは詳しく取り上げない。

ベーシック・インカムの導入に向けて根強く活動をする人々がいるスイスでは、2016年6月6日にベーシック・インカム制度の導入を問う国民投票が行われた。結果は、賛成23.1%、反対76.9%で否決され、投票率は46.3%であった。

インターネットで「ダイレクト・デモクラシーとベーシック・インカム」と検索すると、スイスでベーシック・インカムの導入を主導するエノ・シュミット氏のインタビュー映像を見ることができる。彼はそのインタビューの中で、「次回の国民投票では否決されるだろう。もし賛成が30%を超えれば大成功だ。僕たちは活動を続けていく。スイスの人たちは保守的だから、2回3回と国民投票を繰り返していけばきっと形になっていく。それが僕たちのデモクラシーである。」というような内容を語っていた。

僕がインタビューの中で注目したのが、ベーシック・インカムを導入しようと思った動機についてエノ・シュミット氏が語っていたシーンである。「全ては人との関わりの中でやっている。だから仕事の時間と自由の時間を分けるのはやめよう。ナンセンスなんだ。全体であなたの人生なんだ。もう少しありのままになろう。」

彼は労働を遊びに区別を無くして、人生をトータルで考えるべきだと訴えている。ベーシック・インカムの導入は、そのための問題提起であり、自分たちがより良く生きていくための手段だと考えている。エノ・シュミット氏はベーシック・インカムの憲法草案も合わせて作っている。「すべてのスイス国民はその尊厳と社会参加のために収入がなければならない。」もちろん僕が作成した『憲法草案』にも問題提起の意味を兼ねて、財政の章に基礎所得(ベーシック・インカム)の条文を設けている。

スイスや日本で働く喜びが失われた過去は、僕が中東の市場で見た現在であるし、それはもしかすると近い将来のスイスやもう少し先の日本の未来であるかもしれない。

つづく。