「アジア主義って分かりそうで、分からない。」

そう感じたのが、この文章を書くきっかけである。僕は「アジア主義」という言葉を結構使っているが、実際にはアバウトな理解であったりする。そこでアジア主義に詳しい知人にお願いして、マンツーマンレッスンで教えてもらっている。そのレッスンをモチーフに空想上の会話の中でアジア主義について書いてみることにした。さて、それでは桐野くんと小山くんに登場してもらうことにしよう。

桐野:「小山さん、こんばんは。今日は時間を作っていただいてありがとうございます!さっそくですが、質問して良いですか?」

小山:「どうぞ。」

桐野:「アジア主義のアジアって、どこですか?」

小山:「いきなりざっくりとした質問(笑)でも、この質問は重要なポイントだね。ちなみに桐野くんは、どこまでだと思う?」

桐野:「アジアってめちゃくちゃ広いですよね。サッカーW杯のアジア予選は、シリアとか中東の国もアジアに入りますよね。」

小山:「W杯のアジア予選で考えると、オーストラリアもアジア扱いだね。」

桐野:「えっ、じゃあ、アジア主義にオーストラリアも含まれるんですか?」

小山:「桐野くん、そうとは言っていないよ(笑)ただアジア主義にオーストラリアが含まれるとは、あまり聞かないかな。それにアジア主義が指すアジアは時代ごとに違うんだよね。」

桐野:「へぇ〜、そうなんですね。もうちょっと詳しくお願いします。」

小山:「アジア主義で有名な人物をあげると岡倉天心っていう思想家がいるんだ。彼は「アジアは一つ」っていう一文で始まる本を書いているけど、知ってるかな。」

桐野:「あ、聞いたことあります。『東洋の理想』っていう本でしたっけ?」

小山:「そうそう、良く知ってるね。岡倉天心は、儒教の発祥である中国、仏教の発祥であるインド、そして儒教や仏教を吸収した日本の三ヶ国を中心にアジアを考えていたんだ。」

桐野:「なるほど。じゃあ、アジア主義のアジアとは、東は日本から西はインドまでなのですか?」

小山:「初期のアジア主義は、そうだと言えるね。また日本と中国と朝鮮の連携を訴える人もいたね。けれども、アジア主義の地域的な範囲を広げた人物がいるんだよ。」

桐野:「日本・中国・朝鮮とか、日本からインドまでとか、アジア主義の範囲はそのくらいのイメージでした。そこからさらに広がるのですね。」

小山:「アジア主義の領域を広げた人物は大川周明。初めはインド哲学を研究していたけど、イスラームに関心が移ったんだ。イスラーム教の聖典クルアーンを日本人として初めて翻訳をしているよ。」

桐野:「大川周明もアジア主義者なのですか?」

小山:「そうだね。大川周明はアジア主義の理論を体系立てた人物とされている。その大川周明がイスラームへの関心を持つものだから、アジア主義の範囲もイスラーム圏まで広がったんだ。」

桐野:「イスラーム圏もアジア主義に含まれるのですか?」

小山:「含まれる。西は北アフリカまで広がったんだよね。」

桐野:「えっ、北アフリカって、もはやアジアじゃなくてアフリカじゃないですか!」

小山:「まぁ、そうなんだけど(笑)理論だけじゃなくて、実際に日本のアジア主義者はエチオピアの独立支援も行っていたよ。東京の代々木上原にイスラーム教のモスクがあるのは知ってるかな?」

桐野:「知ってます。僕は小田急線ユーザーなので、時々見ますね。」

小山:「実は、そのモスクの開設に日本のアジア主義者も関わってるんだ。代表的な人物は、頭山満。」

桐野:「あぁ、右翼の源流って言われている方ですね?」

小山:「・・・ちょっとそこ説明させてくれないかな?」

桐野:「あっ、、、どうぞ。」

小山:「確かに頭山満は右翼の源流と言われることもあるけど、実際には東洋のルソーと呼ばれた左翼の中江兆民との交流があったし、アナーキストの大杉栄のパートナーだった伊藤野枝とは親戚だった。それに頭山満は、特高警察に拷問を受けていた共産党員を救い出したという話も聞いたことがあるよ。」

桐野:「右とか、左とかの枠組みに収まらない行動ですね。」

小山:「民衆や国のためを思った行動ならば右左の思想は関係ないと考えたようだね。ちなみに頭山満や大川周明は、西郷隆盛から大きな影響を受けているよ。」

桐野:「僕も西郷隆盛が好きです。『敬天愛人』という言葉を残してますね。右とか、左とかじゃなくて『人を愛せ』ってことかもしれないですね。アジア主義の範囲が時代ごとに広がったのは分かったのですが、アジア主義者たちは何をしたのですか?」

小山:「大きなところで言うと、アジアの独立運動の支援だね。そのためにもアジア主義という考えが生まれた時代背景を理解しないといけないね。19世紀の世界地図をネットで検索してくれるかな?」

桐野:「了解です。えっと、出てきました。ほとんどの地域が西洋の植民地なんですね。」

小山:「インドから東側のアジアを見ても、タイと日本を除いて、アジアの国々は西洋の植民地だったんだ。そして、植民地ではかなり酷い仕打ちを受けていたんだ。」

桐野:「大変な時代ですね。」

小山:「当時の独立を維持していた日本は、明治維新からいち早く近代化を遂げて発展していたこともあって、アジアの多く留学生が日本へ学びに来たんだ。そうするとアジアの悲惨な状況が留学生を通じて日本に知れ渡るようになった。」

桐野:「それがアジアを助けようという機運に繋がっていくのですね。」

小山:「そうなんだ。だからアジア主義の誕生を語るには、どうしてもアジアの悲しい過去とは切り離せないんだ。そして、この植民地の傷跡は、現代の民族紛争の遠因にもなっているから、全てが綺麗サッパリ終わったわけではないんだ。」

桐野:「ミャンマーのロヒンギャ問題もイギリスの植民地政策が根本の原因にあると聞いたことがあります。アジアの回復は未完のままかもしれないですね。これは現代に生きる僕たちに残された課題と言えるかもしれません。」

小山:「その通り。そこはこれから考えていかないとね。アジア主義者は、中国革命を起こした孫文やインド独立運動家のビハリー・ボースの支援も行っている。ビハリー・ボースは、新宿の中村屋に匿われて、日本にインドカレーを伝えた人物でもあるんだ。」

桐野:「中村屋のカレーって、そういう物語があったんですね。カレー食べたくなってきました。」

小山:「アジア主義と朝鮮半島の関係でいうと、日韓合邦の話は聞いたことあるかな?」

桐野:「日本が朝鮮を植民地にした話ですか?」

小山:「それは日韓併合だね。日韓合邦と日韓併合は、言葉は似てるけど、全く違うものだよ。強国のロシアが南に勢力を伸ばしていたから、日本のアジア主義者たちは朝鮮との連携を模索していたんだ。この時に中心的な働きをしたのが、内田良平という人物。日本と朝鮮のそれぞれの主権を認め合った上で、対等な立場で連合しようとしたのが日韓合邦っていうアイディアだったんだ。今で言うと連邦制みたいなものかな。」

桐野:「その後は、どうなったのですか?」

小山:「対等な立場での日韓合邦の話が進んでいたのだけど、日本政府によってこの計画は拒否されてしまったんだ。そして、日本政府による朝鮮の主権を奪う一方的な形での併合という結末になってしまった。」

桐野:「そうだったんですね。日本のアジア主義者で日韓併合に反対した人もいたのでは?」

小山:「日韓合邦を推進していた人たちは、日韓併合に否定的だったね。歴史に『もしも』はないけれど、対等な立場での日韓合邦が実現していたら、今の日本と朝鮮半島の関係は違ったものになっていたかもしれないね。」

桐野:「アジア主義者はアジアの連帯を望んでいたのですね。」

小山:「確かに連帯は望んでいたけど、もう少し深い視点がアジア主義にはあるよ。」

桐野:「ん?どういうことですか?」

小山:「ここはよく誤解されるのだけど、アジア主義は、アジア連合やアジア同盟とか、安全保障の意味だけで連帯を訴えていたわけじゃないんだ。それだと、政治力学的にパワーのあるところと提携しようという話だけで終わってしまう。」

桐野:「なるほど。」

小山:「たとえばEUみたいな超国家連合を見ても分かる通り、結局はドイツの一人勝ちだったり、仕事が少ない国から仕事の多い国へ人口が流出してしまっている。こういう考えは、アジア主義には、なじまないな。」

桐野:「でもアジア主義から日韓合邦のような運動も起こったのですよね?」

小山:「そうだね。アジア主義者の中には一方的な日韓併合に反対する人もいたと話したよね。なぜならアジア主義は自分たちの国のカルチャーや精神性を大切にした人たちなんだ。たとえば、さっき話に出てきた岡倉天心は、こんなことを書いてる。『東洋の民族は、めいめいがその再生の種子をみずからの内部に求めなければならない。汎アジア同盟はそれ自身計り知れない力であるが、まず個々の民族が自分自身の力を感じなければならない。』」

桐野:「確かに。この文を読むと『みずからの内部』や『個々の民族』とあるように、それぞれの精神性を重んじている感じがしますね。」

小山:「自分たちの文化や価値観を大切にして、変革をしていくべきだっていう考えだね。その上で、お互いの国で助け合えることは進めていきましょうという話。だから、国境や文化や歴史の違いを全てなくせっていう発想ではないんだ。違いは違いとしてお互いに尊重し合いましょうとね。」

桐野:「なるほど。アジア主義者は、日本の文化や価値観について何か言っているのですか?」

小山:「そうだね。大川周明の言葉を引用しようか。『アジア復興の戦士は否応なく日本改造の戦士でなければならぬ。』大川周明は、アジアの復興と日本の改造をセットで考えていて、日本の行き過ぎた近代化に反対していたんだ。」

桐野:「行き過ぎた近代化とは、なんのことですか?」

小山:「経済的なものばかり重視した物質的な社会のことだね。確かに日本は明治以降、急速に近代化を果たしたけど、その過程で日本の古き良きところを捨てて、西洋のマネばかりをするようになった。本来なら日本の良さを失わずに近代化する道を進むべきだったんだ。全ての価値がお金で評価されるような風習は今も根強く残っているね。」

桐野:「だから大川周明は日本改造を訴えたのですね。」

小山:「大川周明は、西郷隆盛の『南洲翁遺訓』を繰り返し読んで、かなりの影響を受けているよ。だから、人間は経済的な存在ではなく、精神的な存在であるという考えを持っていた。西郷隆盛もそんな人間観の延長線上で国家を論じていて、国家が金銭や財政のことばかりを議論していたら、『商法支配所』に成り下がってしまう。そうではなく、精神性を重んじた道義国家を目指すべきだと書いている。社会秩序に道徳や精神性を重んじるのは、中国の儒教やインドの仏教に通じるところがあると思うね。」

桐野:「頭山満も西郷隆盛から影響を受けてますよね。」

小山:「そうだね。西郷隆盛は日本のアジア主義の原点と言われている。西郷隆盛は、日本なりの徳のあるやり方での国づくりを目指した。そんな西郷隆盛の精神を学んだ人々がアジアの解放を実行するアジア主義を発展させたんだ。」

桐野:「アジア主義の全体像が見えてきました。アジア主義は、自分たちのカルチャーや精神性を大切にしながら、連帯を目指していったんですよね。たまたま当時の世界情勢ではアジアという単位で連帯をせざるを得なかった。けれども、北アフリカまで入ってるとすれば、アジア主義の『アジア』という言葉は少し誤解を招く気がします。」

小山:「その通りだね。だからアジア主義は『アジアから始まった』という理解で良いと思うよ。必ずしもアジアという地域に限定したり、固執する必要はなくて、もっと広がりゆくものだと考えればよいかな。」

桐野:「なるほど。確かにそう考えると、アジア主義のエッセンスは『自立』と『協調』かもしれないですね。おかげさまでアジア主義のことが分かってきました。今日は、ありがとうございました!」

つづく。