2018年1月24日から1月31日まで、中国の香港と広州を訪れていました。この中国旅行記では、そんな旅を通して、肌で感じたことや考えたことシリーズに分けて書いています。

「あれは、自由の女神だよ。中国ではたった一つここだけにあるんだ。」

現地で案内をしてくれている中国人の案内人が指を差す。その方向へ目を向けると、ピラミッド上に積み重ねられた石碑の上に、自由の女神が佇んでいる。

「自由は、革命のシンボルだったのか。」と言葉を漏らす。僕は広州の黄花崗七二烈士墓にいた。

広州は、辛亥革命の震源地である。辛亥革命の指導者である孫文は、広州市の南にある翠亨村で生まれた。辛亥革命は、清王朝を打倒するために、10回もの武装蜂起が行われるが、第1回目の武装蜂起も広州で計画された。

中華民国が建国された1912年に孫文は初代臨時大統領に就任する。広州市にある中山記念堂は、辛亥革命以後は革命軍の司令部として、1921~1922年には孫文の総統府があった場所である。また、1917年には同じく広州で孫文は広東軍政府を樹立し、北洋軍閥に対する護法運動を展開している。

つまり、広州は辛亥革命の震源地だけでなく、辛亥革命後の中心地でもあったのだ。

自由の女神像があるのは、黄花崗七十二烈士陵園(黄花崗公園)である。ここには、1911年4月27日に広州で決起された武装蜂起による戦死者の墓がある。この決起は「黄花崗起義(こうかこうきぎ)」と言われるが、旧暦から「三・二九広州起義」とも呼ばれる。

黄花崗起義の半年後に武昌起義が起こり、それがきっかけで民衆が中国各地で反旗を翻し、中華民国が成立する。黄花崗起義での民衆の健闘は、その後中国革命に大きな影響を与えたのである。


ここは、黄花崗起義の司令部があった場所である。黄花崗起義には、知識人・農民・留学生・軍人・商人・学生など様々な階層の民衆が参加していた。黄花崗起義は黄興という人物が指揮をしている。(写真の帽子を被った銅像)

「この建物から百人余りの決起軍が一斉に飛び出していった。」

案内人はこのように話す。決起軍はここから、清王朝の地方政府(両広総督)の官署をめがけて出撃した

この門では清軍と決起軍の戦いがあり、その後、市街戦が展開され、激戦の末に決起軍は清軍に殲滅されてしまった。

「決起の翌日、この道路は決起軍の死体で埋め尽くされていたんだよ。」

案内人は話を続ける。

「その後も死体は放置されていたんだ。なぜだか分かるかい。決起軍の遺体を埋葬すれば、反政府人物として危険視されるから、民衆は恐れたんだ。でも、潘達微という人物がいてね、危険を冒しながら、遺体を紅花崗に埋葬したんだよ。」

潘達微は、72名の烈士の遺体を紅花崗に葬った。のちの調査で蜂起軍の戦死者は86人に及ぶとされるが、埋葬時の呼び名が定着し、今でも「黄花崗七十二烈士」と称されている。紅花崗は、後に「黄花崗」と改名される。黄花とは、菊の花のことで、命に変えても正義を守る不屈の精神の象徴である。

案内人たちと一緒に黄花崗七十二烈士の墓へ向かう。行く途中にある建物の前で人々が集まって、中国国旗を手に持ちながら何やら騒いでいる。

「どうやら役所に向けて住宅保障関係の抗議をしているようだ。この手の抗議は中国で珍しいが、この規模だと明日のニュースには載らないな。」

僕たちは抗議する民衆の脇を通りながら、烈士の墓へ歩いていった。

黄花崗七十二烈士陵園にたどり着く。目の前には、孫文が書いた「浩気長存」の文字が立派に飾られた門が立っている。「浩気長存」は、「浩然の気は永遠に不滅である」ということ。「浩然の気」とは、孟子が説いた言葉で「天地に満ち溢れた正義や生命の源になる気」との意味がある。革命の烈士を象徴する言葉である。

公園に入ってすぐ左に休憩スペースがあり、モニターで公園の説明が映像で流れていた。烈士の名前や職業、亡くなった年齢などが載った表が映った。烈士には日本への留学生も含まれ、20~30代が中心だったようだ。


門をくぐって真っ直ぐ行くと、「七十二烈士之墓」が見えてくる。お墓の前で手を合わせる。今でも菊を献花する人が絶えないそうだ。その墓のすぐ後ろに、72個の石碑が重ねられた一番高いところに自由の女神が立っている。この女神は、自由と民主のために戦った気高い精神の表している。


黄花崗公園には、国民党関係者の墓もある。案内人が一つのお墓に近づいて指を差す。王昌は国民党によって埋葬された中国革命に関わった人物である。

「ほらここを見てごらん。よく見ると墓を守る獅子が破壊されている。そして、暮石を字を書いた汪兆銘の名前も削り取られたが、後に修復された。これらは文化大革命の影響だ。」


その後も、たくさんの革命家の銅像や銅像を見て回った。最後に二つの有名な石碑を見た。「自由之魂」と「自由不死」。


黄花崗七十二烈士陵園は、とても多くのことを物語っている。

「自由の女神」「浩気長存」「自由之魂」「自由不死」の残像が頭の中でグルグルと巡る。

革命とは大変なものだ。国を支配している政府と武器を持って戦う。時の反逆者であり、犯罪者である。もちろん非合法の行為である。捕まれば殺される。

そんな無謀な企てを10回も繰り返したのである。けれども途中で止めていたら、辛亥革命は成立することはなかったし、「自分たちの中国」という夢は、文字通り夢で終わっていただろう。

一つだけはっきり分かったこと。彼らは決して諦めなかったということだ。

自由は尊い。

つづく。