私たちは、嬉しかったら笑い、ツネられたら痛いと叫ぶ生き物である。そんな私たちから生まれた憲法も生きているのではないか。けれども、憲法が私たちから生まれたことなんてスッカリ忘れ去られ、親しみさえ感じない。憲法は固まったまま、死んだも同然なのではないか。でも一体どうすれば・・・?

そのような問題意識があったなか、2018年4月8日に『憲法も私たちも生きている〜人には食事を、憲法には思いを〜』というイベントを行った。

今回のイベントは、憲法と出会ってから人生が明るく狂ってしまった桐山洋平、『タブーを破る講座』を開く石川県のタブーなき勇者のまつもとせいやさん、そして、美味しい食事を提供してくれるが意味深な名前が特徴の『然とした混沌』の3組によるコラボ企画である。こういうイベントは、陰ながら活躍してくれる人がいて成り立つ。渡辺明子さんもその一人。カッコいい写真は、カメラマンの高橋圭さんによる撮影。その他、みなさんに感謝。

憲法のイベントをずっとやってきたが、イベントの中で自分が大切にしたいのは「楽しい」と「美味しい」である。この要素は、まさに今の政治に足りていないと思う。確かにショック療法的に危機感を高めて取り組むのも必要な時期はあるかもしれないが、ピリピリ緊張した状況は持続できないし、良いアイディアが生まれるとは思わない。楽しければ、人が集まるし、人が集まれば、もっと楽しくなる。楽しさには、善のループの力がある。「楽しさ」に勝るものは、なかなか見つけられない。

あとは、美味しいご飯。意見や考えの違う人でも、一緒にご飯を食べていると不思議とお互いに打ち解けてしまう。考えや意見が違くとも、致命傷になることもないので、相手を尊重できるくらいの心のゆとりは持ちたいところである。そんなことを考えていたら、素敵な文章に出会った。

炊き出しはとても重要だ。古代ギリシャのポリスで直接民主主義が可能になったのも、広場で炊き出しをして、飯を食いながらやっていたのだ、と言われている。アラブの春でもタリハール広場では青空レストランができていた。釜ヶ崎の三角公園に至っては、世界中のオキュパイ運動の世界的な先駆けである。公園で、広場で、人が集まるところで、炊き出し、これすなわち革命。

『アナーキズム入門』

今回の会場は、京王線調布駅から徒歩10分ほど歩くと見えてくる「深大にぎわいの里」という場所だった。昔はかなり賑わっていたであろうバブリーな香りのする建物である。1階と2階が商業スペースになったマンションである。1階には地元の野菜を販売している店がある。

イベントは、2階の空きスペースを貸してくれることになった。もはや完全に怪しいアジトである。そこまで悪さをするつもりはないが、秘密基地のようで、ワクワクしてくる。

食事は、『然とした混沌』が今回のイベントのために考案してくれた特別プレート。ソイミートを使ったベジタリアンメニューである。そして、美味い。見事な連携プレーで料理を届けてくれた。今回のイベントでは、食事も大切な役割を担っている。





今回のイベントのテーマは『憲法も私たちも生きている』と名付けた。

「憲法は生きものだ」と考えた学者がいた。その名前は、小室直樹。こんなことを言っている。

今、日本で改憲・護憲のいろいろな議論が行われていますが、ともすれば不毛な議論に終わってしまいがちなのは、すべて「憲法は生き物である」ということを忘れられているからです。もし、日本国憲法が死んでいるとすれば、護憲も改憲もあったものではありません。死んだ憲法を今さら守ってどうするのですか。「憲法の墓守」をして、何の意味があるというのでしょう。

『日本人のための憲法原論』

小室直樹は「日本国憲法はすでに死んでいます」と2001年に言い放っている。本が書かれた頃と現在は、状況は変わっていない。では一体どうしたら、憲法は蘇るのだろうか。小室直樹によれば、「憲法学を学ぶ」ことだと言っている。それでは「憲法学」とは・・・?

本来の憲法学とは、憲法の条文解釈などではありません。「憲法を語る」とは、すなわち人類の歴史を語ることに他なりません。憲法の条文の中には、長年にわたる成功と失敗の経緯が刻み込まれているのです。

『日本人のための憲法原論』

物語テイストで憲法を知ってもらえれば、憲法が生きていることを実感できるのではないかと考えた。人間が生きるためには、食べ物が必要である。同じように憲法が生きていくためには、憲法に込められた想いを触れることではないだろうか。そんな人々の想いが憲法を憲法たらしめる条件と言えるのではないだろうか。人々が何も感じない憲法は、死んでいる。人々が何かを感じる憲法は、生きている。

今回のイベントは、三部のパートでできている。第一部は、僕が「物語で体験する憲法」について話し、第二部では、まつもとさんが「日本国憲法成立の歴史〜日本国憲法はアメリカの押し付けなの?〜」について話す。最後は、参加者みんなで新しい権利や自由をディスカッションするパートである。

美味しいご飯を食べながら、イベントが始まる。


最初は、僕のパートである。憲法を単純に読むと小難しい条文がズラズラと並んでいるように見えるが、物語風に語れば、憲法を身近に感じられるようになるのではという視点で試してみた。


今回は、基本的人権の中で大切な「自由権」「社会権」「参政権」を話す。簡単に言えば、これらの権利は、それぞれこんな物語があって人類が作ってきたのである。

①暴君ジョン王がフランスと戦争を繰り返す
→当時の課税と徴兵は、貴族たちに課せられていたので、貴族たちが猛反発する
→貴族たちが王の暴走を防ぐために、「勝手に課税・徴兵するな」という約束を王に取り付ける
→1215年6月15日『マグナカルタ』の制定
→「自由権」の成立

②資本主義が発達し、工場で労働者を搾取する資本家が登場する
→労働環境を改善を求めて、労働者たちがチームを作り、資本家に対抗する
→激しい労働運動の広がりと共に労働者のチーム(労働組合)が世界に広がる
→1919年にドイツのワイマール憲法で、世界初の「労働者の団結権、団体交渉権」が認められる
→「社会権」の成立

③楠瀬喜多さんが戸主になり納税するが、女性という理由で参政権が得られなかった
→楠瀬喜多さんは「税金滞納」と「高知県庁への抗議文提出」というアクション
→高知県は抗議文の受け取りを拒否したため、喜多さんは内務省へ意見書を提出する
→世論が動き、1880年9月20日土佐郡上町で女性参政権を県に認めさせる
→日本で初めての「女性参政権」

①暴君ジョン王→自由権
②搾取する資本家→社会権
③特権階級→参政権

このように見ていくと、憲法とは、ピンチを社会を良くするチャンスに変えてきた、情熱を持つ人々の物語である。

次は、まつもとさんのパート。「日本国憲法成立の歴史〜日本国憲法はアメリカの押し付けなの?〜」と題してのお話。まつもとさんの話は、情報量も豊富で勉強になり、時にコミカルな語り口で聞いている人を楽しませてくれる。「教科書的な説明」「実際の裏側」「自分の考え」を分けて話しをしてくれたので、自分の頭を整理できた。

まつもとさんは、石川県で『タブーを破る講座』を連続開催している。憲法だけではなく、様々な問題を面白い切り口で話しをしているらしい。気になる人は是非ともチェックしてみてほしい。

最後は、参加者みんなのパートである。まつもとさんと僕から導入の話しをする。まつもとさんから日本国憲法の中で、日照権、嫌煙権、自己決定権など新しい権利の話しを、僕からは「インドがイルカに人権を認めた」、「ボリビアの大地に権利を認めた法」、「EUの環境支払い」など最近の世界の動向などをお伝えした。

ここからは参加者が主役である。第一部のパートで「憲法はピンチをチャンスに変えた物語」だと伝えた。「僕たちが生きる社会では何がピンチで、どうすればチャンスにできるか」という問いを会場に投げかけた。

イベントの時にとった僕のメモと参加者が書いてくれたノートを参考に、「新しい権利たち」を取り上げてみよう。

(1)野グソ権
→自然から受け取ったものを自然に還す権利。うんちも大切な資源であり、良いうんちを出すために食事の工夫をするようになる。

(2)発明権
→新しい発明をするために、会社や学校を休むことができる権利。発明期間中は、最低限の生活保障がさなされる。

(3)弱さに関する権利
(3ー1)適切な医療を受けられる権利
(3ー2)病気のままで生きられる権利
(3ー3)親を選べる権利
(3ー4)学校に行かなくていい権利
(3ー5)死ぬことができる権利
→とてもリアリティのある権利。詳細は、写真を参考にしてほしい。




(4)全ての国民に参政権を与え、参政権の年齢制限の廃止
→共同体の一員なのに、参政権が年齢で制限されているのは不合理である。子どもも参政権を持ち、合理的な判断ができるまでは、保護者が代理で投票をする。そうすれば、子どもや子持ち家庭の意見が政治に反映されやすくなる。

(5)循環権・レンタル権・原状復帰の義務
→全ては地球からの借り物・レンタルで人間は生活をしているから、持続が可能で循環できる権利を認めてほしい。また、トンネル掘削やダムの建設は、不要になったら原状復帰を義務付けてほしい。自然環境が分解できない製品には、環境コストとして高い税金を課す。原状復帰させるかどうかは、次世代の子供たちがコンテスト形式で評価する。

(6)1日の1/3はやりたいことをする義務
→この義務を果たせば、生活の場所やお金が受給できる。子どもの学費や住宅費は考えてなくてよい暮らしができる。

(7)見ないTVにお金を取られない権利(情報から守られる権利)

(8)環境を守る権利
→自然にも人間にも優しい食事・衣服・家具は値段が高くて、お金持ちにしかできない。環境に良いことをする権利を認めてほしい。

(9)香害を拒否する権利

(10)夜道を安全に変える権利

(11)子どもが親を訴える権利

(12)子どもが家族間を留学できる権利

(13)通貨を発行できる権利(通貨発行権)
→お金も食べ物のように腐り、有効期限をつけたお金を発行することができれば、お金が社会を循環するようになる。

(14)生き方(遊ぶ、学ぶ、暮らす、食べる)を選ぶ権利

会場から出たアイディアはこんなところ。特に制限を設けずに自由にディスカッションしてもらったら、話せば話すほど、新しい権利がドンドン生まれていった。

「野グソ権」を初めて耳にしたときは、目玉飛び出そうになった。会場からは「野グソって気持ちいよね」というリアクションもあり、ただならぬ参加者にビビってしまうシーンもあった。けれどもよく考えてみると、江戸時代は人間の糞尿も全て肥料として活用していたので、環境問題が重視される現代では、理にかなった権利とも言えるのではないだろうか。

自分の観点でディスカッションを眺めたとき、「循環権」や「弱さに関する権利」の共感が強かったように感じた。「野グソ権」や「通貨発行権」も考え方を変えれば、「循環権」に集約されそうだ。自然環境や経済など、私たちの生活を循環型にするための「循環条項」が憲法にあっても良いのではないだろうか。

「弱さに関する権利」は、精神病患者が少なくならない現代社会にとっては、大きな問題提起になるように感じる。今の社会はとにかく「強くあることを強制されてる」ようにも見える。

今回は、自由に権利を考えてもらった。人類が生み出し、憲法に書かれた権利にも物語があるように、今回の参加者が出してくれた様々な権利にも、それぞれの物語があるはずだ。突飛なアイディアをバカにするのではなく、きちんと検証する作業が大切であろう。

こういう議論が実際に制度や法に落とし込むことができれば、日本だけでなく、世界にも貢献できるのではないだろうか。みんな素晴らしいアイディアを持ってるし、良き実践家もいる。「日本がダメだ」というのは、簡単だけど、考え方を変えれば、可能性に満ち溢れてる!

民衆のパワーを信じてます!
その力を炸裂させましょう!
その力を世に響かせましょう!

ダメだと言われても、えいじゃないか。
おバカと言われても、えいじゃないか。
繁盛せい、繁盛せい。
繁盛すれば、えいじゃないか。

つづく。